似た/同じ分野の事柄を論じながら思想信条や論調が違ってもこれまで対決してこなかった大物同士の関係が悪化する時にその界隈の人達がザワつく様子、バキの斗羽・猪狩戦で居ても立っても居られなくなる日本全国のプロレスファンを思い出す。
今後も有益な北欧情報()発信を生暖かく見守るためオーバーキルはやめてつかぁさい…
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グルジア語をかじってたらタイの日本語学習ニキと同じ気持ちになった。ვ, კ, პ, ჰ, ცとか、ქ, ე, მ, გ, ბ, ტ とか全部同じじゃないですか!(一夜漬けである程度文字を覚えたつもりでも現地で教科書と違うフォントを見るとあやふや)
アラビア語を学んだからといってアラビア語ができるとは限らない…やめてください しんでしまいます。アラビア語に限らずあらゆる物事において全くその通りで耳が痛くなる。
似た主義主張・信条の人の過誤について、党派性から盲目的に擁護するのはどうか、誰に対しても是々非々で対応すべきではないか、というのは原則としては正しいと思う。しかし誰かが自身の主張の補強に役に立たなくなったと見るや、すかさず切り捨てるのは浅ましく醜い。
ヤクザ像があしたのジョーの60年代後半〜70年代全般のそれから平成〜令和の暴力団のイメージに変わったのも世相の変化を感じるが、それ以上にマレーシア像の変化は大きい。原始的部族の野生の戦士という描写は今の🇲🇾を知る我々からすれば荒唐無稽だが、当時の日本人は疑問を持たなかったのだろうし。