だからこそ悟空は自らの「気が済んだ」時点でフリーザと闘うのをやめてしまうわけです。復讐のためにフリーザを殺すことが目的ではないのだから。
原作漫画とアニメを詳しく見比べてみると構図が左右入れ替わっていることが度々あるのですが、これはたぶんページの切り替わりで視点をリセットできる漫画と、より構図の連続性が求められる映像の違いの表れなんでしょうね。
身勝手で残虐なサイヤ人としてのベジータの側面を「大キライだった」と突き放しつつ、サイヤ人としてのプライドやアイデンティティを汲んだ結果として、自分は「地球育ちのサイヤ人だ」と悟空は言うわけです。
漫勉を観て筆で描いた漫画に興味を持った方は鄭問(チェンウェン)の作品をおすすめします。巧すぎてある意味何の参考にもなりませんが、純粋に絵の美しさに見惚れるには最適です。
腐っても常人の中では格闘技世界チャンピオンなわけで。常にシリアスな時みたいに格好いい描写をしろ言うわけはありませんが、直球で滑稽に描くんじゃなく、飽くまでいち格闘家としての行動がズレてるだけであってほしいところです。烈海王みたいにシリアスな笑いに昇華できてるわけでもないですし。