こちら、漫画版仮面ライダー(マガジン)とほぼ同時期に連載開始されていたバビル二世(チャンピオン)のバベルコンピューターです。
結局、そう長からずしてクローン組織は成敗され、KAZUYA時代の医療技術の限界とそこからの進歩が主軸になり、次いで新しいグランドストーリーの軸は一也のアイデンティティ等の個人の主体性の話に移行した。そして「往年からの進歩」は概ねやり尽くすと、ただの最先端医療のアップデートの話になる。
「一也はKAZUYAではない(一人の個人であれ)」という話は何度も繰り返されていますが、「一也は次代のKとして立派になれ」という話もされない。この磯永の「Kを育ててやる」に対する「もう医者だ」は、そういう対比でしょう。一也は一人の医者であって、「スーパードクターK」ではないということ。
なお異常医療村からただの僻地村落へと変質する中で、村人の排外力も当然衰えており、いずれ「しきたり」もなくなっていくのだろうと思う。
あっ(見てしまった感) >イオンの出店事情 - chakuwiki https://t.co/LFPwhLm5tT 〝山梨にはジャスコは1店舗もありません(出店計画中状態)〟〝2011年3月に開店するイオンモール甲府昭和は山梨県初であり、……〟〝イオン未開の地であった鹿児島や山梨では「黒船が来た」と大騒ぎであるのに、……〟
KEIは裏K家流について何も知らず、Kとして活動していないというのに、一人は「いずれ話さねば」とは言うもののKAZUYAが死んで5年間も接触することなく、「決して交わることのない」とか「この村でしか存在してはいけない」とか言っていると。
関羽単体だと理の人になってしまうが、「分からんが分かる」劉備がいることで、関羽も道の外に出て天と一体である状態になれる……という辺りか。
「K」という実体が事実上なくなっているのに、一人は「影は実体があってこそ」「私は影」と言う。このシーンが示しているのは、この時点で彼にとっての「実体」は「表の世界で生きるスーパードクターK」ではなく、「村」だったことだと言える。
それはそれとして流れてきたツイートをきっかけに最初期辺りのK2をちょっと読んでたのですが、こうして冷静に考えれば、次世代育成義務を怠っておいて「ドクターKは必ず現れる」とか言い放つKAZUYA、かなりいかがなものか感ありますね。 #志持つ医者は全員がドクターKなのだオチも視野にあるでしょ
この瞬間に、張角は他人(曹操)の示した道に乗ってしまい、天自体から離れてしまったということなのかな。それまで張角は求められる器でのみあり続けたが、天命が「記されて」しまった瞬間、中空の=天の器でなくなり、ただの将軍になった。
だいたい、「寿司は白身から食べて赤身へと進みトロは最後にしろ」みたいな理論