当代Kの一人がかつてのKたちのように世界を股にかけるようになっていたなら話は別だったろうけれど、一人は裏K家の者であることをやめることはなかった。言い換えると、僻地医療者であることをやめることはなかった。
関羽単体だと理の人になってしまうが、「分からんが分かる」劉備がいることで、関羽も道の外に出て天と一体である状態になれる……という辺りか。
しかし今回のサンキューピッチ、やはり「小堀は根本的な領域では人間の情が分からないんだな……」感あふれつつ、でも竹内や広瀬はそれが分かった上でそれでもいいと、小堀がこのチームや野球にまつわる何かに真摯で本気なこと自体は確かで、託すに足る、と認めているというのが分かるのがいいよね。
この瞬間に、張角は他人(曹操)の示した道に乗ってしまい、天自体から離れてしまったということなのかな。それまで張角は求められる器でのみあり続けたが、天命が「記されて」しまった瞬間、中空の=天の器でなくなり、ただの将軍になった。
セールの時にむこうぶちを買ったはいいが積んだままだったので、かつて何巻まで読んだかうろ覚えなまま50巻くらいから読み出したのですが、52巻で鉈切さんが現れて「おっ」っとなってたら、なんか聖典から聖句を引用し出したので慄いたのがさっきでした。
道と天はきちんと分けられている気はする。曹操も蒼天に道を求めていた。この太平清領書の如く、天において理によって形にされたものが「道」で、それは天自体ではない、ということかな。(だから道を明確にしたら侠ではない)
これで読まないのもアレなのでちゃんとPV一人分くらいにはなっておくかと思ってググって見に行ったのですが、脳がそういうモードになってしまっているので、とりあえずと思わずこういうSSを撮ってしまう。
斜に構えて、一般人は見下し、より知識のある層に会えばイケ好かないインテリ気取りなどと強がってみせるような、孤高を気取る中途半端なオタク(あるいはサブカル)が、抵抗なく自分を「普通」側に置きたくなる強烈な個性との出会いによって、肩の力の抜けたただの趣味人に近づき他者と交わる物語……
これはそう。まあ数パターンなら問題ないけど。絵で全員まちまちな装備のモブとか気合い入れた時の三浦建太郎とかじゃないとやってられないというのはある。