だから、「キャストを知ることでストーリーに奥行きが」もあながちただの空論ではなくて、「キャストを知ることでキャストの情報によって勝手にストーリーに対して新たな座標軸を外挿している」と考えれば「勝手に奥行きを持たせている」ことにはなるよね。
己の暗黒パロディを始めようとしている凶人ハンニバルを前にして予感に震える、かつて人の心が分からなかった魔王だった男……
豊久が「捨てがまり」をやるのでついにハンニバルの精神の霧が晴れました……という話からぶっ込んでこられるのが、豊久–信長関係のパロディだというのも、そういう作風作劇よな端的に。
まあつまりは、読者が耽溺してくると「思考を自動化するな!」と言って舞台を逆さにしてくるというのが「作風」だということなのだろうと思いますが。
悪魔(デヴィル)のささやきシーン…… #表情は本編で
アル社長は不動アンをちゃんと悪いと思ってるんだから、まず不動アンがアウトローかについて考えるといいのではないか。
不動アンが清々しいローフルイービルなので、集団としてケイオティックグッドである便利屋(個々は別)といい感じな対比ができているわけだが、アル社長は反転に憧れるローフル真面目ちゃんなのでケイオスをイービルと混同する定番的なアレをやってるんだよね。
アウトロー度というか悪党度で負けるとこうなります #ホンモノの悪党ではなくあくまで悪たれどもの範疇ですよという語りでもある