アメコミのセクシャルな画についての話題があったので、「アメコミのメジャー出版社に於ける性的表現の現在地」についてつらつらと。
まず、言えるのはコミックの中でキャラを性的に描くケースは、普通にある。
(添付はキャットウーマンとロイス・レーン)
じゃあ流れで。
これは、あまりのダサさに「これはヨガ用(婉曲表現)って事にしましょう」とロイスに封印された私服を、皆で朝ヨガをする時に「ヨガだ!」と引っ張り出してきて、ロイスにガチ切れされるスーパーマン。
夜中にコスチュームを着てごそごそしてたところを娘に目撃されたバットマン。
バットマン:私がバットマンだ。
娘:……ママは知ってるの?
カミングアウトと言えば、ティムのそれは、男友達との関係を自分の中で消化できずにいたところに、
「デートしてみる?」
と聞かれて、
「してみよう。自分もしたいと思ってると思う」
と返す、非常にカラッとした感じで好感が持てる。
日本漫画とアメコミのコマ割りについて、あまり実感の伴わない“考察”が出回っているので、ちょっと検証。
自分のkindleの中でアメコミと漫画を上から4つ無作為抽出。
それぞれの中で比較的派手なコマ割りをピックアップしてみた。
ジミーオルセン誌、相変わらず最高。
ジミー「今からスーパーマンが視聴者だけに、秘密のパワーを教えてくれまーす!」
スーパーマン「よ、よろしくお願いします。まずは…」
これもおそらく誤解で「自分の力を社会の為に使おうとクラークがヒーロー活動を始めて、その後でヴィランが登場するパターンが殆ど」
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「なんで必然性が無いのに主人公を替えるの?」
→“終わらない物語”であるアメコミでは、定期的に主人公の設定や環境を揺り動かして、物語を新鮮に保つ必要がある。
キャラの必須要素と目されてる要素(能力、社会的地位、etc.)を奪うのはその典型的な手法で、中の人を替えるのもその亜種。