1941年(昭和16年)。李香蘭の来日公演が日劇で行われましたが、なんと10万人が劇場に押し寄せ負傷者も多数出ました。その新聞記事ですが、翼賛会の「学生は休日は本でも読め」という訓示と「娯楽をなくすな」という反論両方が載っています。
1940年(昭和15年)。外国風や皇室風の名前の芸能人が改名を迫られました。字がかすれてて見にくいですが当時の新聞記事です。ミス・ワカナの「カタカナが駄目なら美須若菜とでも変えたらいいでしょう」は皮肉が効いています。
1937年(昭和12年)の朝日新聞社の国際・軍事情勢本の広告です。戦前の雑誌はこういう「日米もし戦わば」「欧州の情勢今後の予想」など国際情勢を分析しているものが非常に多く、ニーズが高かったんだろうと思います。
1932年(昭和7年)。「躍進する大東京市」より。先日板橋区をアップしましたが今回は向島区(現・墨田区北部)です。とにかく玉の井玉の井玉の井。臭い街だとも書いてあります。3枚目の工場っぽい写真は紡績工場です。
1936年(昭和11年)の阿部定事件の報道です。当時の新聞をそのまま貼りますので、記事の詳細を見たい方は拡大してごらんください。文字面だけでもおどろおどろしさ満載です。グロ物件という記述も今から見ると凄いです。
1933年(昭和8年)。いわゆる「不良華族事件」の記事です。このスキャンダルの中心人物と言われた吉井勇伯爵の婦人・徳子の見解が載っています。記事では「エロ行状」と書かれていますが、自由闊達な性格が伝わると思います。彼女の叔母があの柳原白蓮で、白蓮は姪の行状について謝罪しています。
1929年(昭和4年)の名古屋新聞より。1面全てカフェーの広告です。当時のカフェーの隆盛ぶりがわかると思います。
久しぶりに新聞です。昭和8年10月の東京朝日新聞より。新渡戸稲造博士カナダで客死、女の悲鳴を乗せて走る怪自動車、絶食戦術で警察を悩ませる共産党員に鼻からの食物注入成功、メチルアルコール入りの悪質酒の摘発など。
1970年(昭和45年)6月の雑誌の広告より。ナショナルゴールデン劇場というドラマ枠の新番組の宣伝のようです。