1917年(大正6年)の雑誌「新演芸」です。当時の人気の歌舞伎に加え、新劇も載っています。芝居が見られない地方のファンにとって、貴重な情報源の雑誌だったようです。
読者の声も載せてみました。3枚目の芝居好きな母娘の会話「今木挽町何してゐるの?」は歌舞伎座の事でしょうか。
1936年(昭和11年)。「東京女子就職案内」という本より。カフェーの女給さんの案内が書いてあります。収入の全が客からのチップというのが大きな特徴でしょう。ただ収入は最低でも100円(今だと30万ちょいぐらいでしょうか)ということでかなり高収入が期待できる仕事だったようです。
1933年(昭和8年)。この年1月に三原山自殺事件という大変ショッキングな事件が起こりました。この記事はそれに影響を受けた滋賀の店員が起こした事件で、どうしても「死の立会人」になりたく、自殺願望がある友達を誘い自殺をさせたという特異な事件です。記事の見出しも怖いです。
最後は1928年(昭和3年)の東京朝日新聞より。
トーキー時代到来で映画界が大混乱、自動車双六競争の当選者発表・1位は長屋でも評判の親孝行息子、東京の高校生アルプス遭難、虐待に耐えかねた若い女工が逃げ出すなど。
久しぶりに新聞です。昭和8年10月の東京朝日新聞より。新渡戸稲造博士カナダで客死、女の悲鳴を乗せて走る怪自動車、絶食戦術で警察を悩ませる共産党員に鼻からの食物注入成功、メチルアルコール入りの悪質酒の摘発など。
1953年(昭和28年)、いわゆる「バカヤロー解散」のときの候補者新聞広告です(愛知県)。わざわざ自由党(〇〇派)と表記してあるところが当時の党内の対立を物語っています。伏してお願いというのも面白いです。
こちらは1935年(昭和10年)頃、同じく愛知県の岡崎市内乗り物表です。
24時制表示ではなく、名鉄の時刻表を例にすると左上から右下へと続いています。運行はJR(国営鉄道)が1時間1本、名鉄が1時間に3本ペースですね。
先ほどの東岡崎駅の写真とこちらは「岡崎と額田の100年」という本からです。
前アップしたものですが、昭和2年と昭和4年の東京朝日新聞です。当時の世相が分かるかと思います。闇討ちは怖いですね。
1934年(昭和9年)、『少女の友』より「御存知ですか」という豆知識コーナーです。創刊100周年記念復刻号より。