最後は1928年(昭和3年)の東京朝日新聞より。
トーキー時代到来で映画界が大混乱、自動車双六競争の当選者発表・1位は長屋でも評判の親孝行息子、東京の高校生アルプス遭難、虐待に耐えかねた若い女工が逃げ出すなど。
1940年(昭和15年)。外国風や皇室風の名前の芸能人が改名を迫られました。字がかすれてて見にくいですが当時の新聞記事です。ミス・ワカナの「カタカナが駄目なら美須若菜とでも変えたらいいでしょう」は皮肉が効いています。
久しぶりに新聞です。昭和8年10月の東京朝日新聞より。新渡戸稲造博士カナダで客死、女の悲鳴を乗せて走る怪自動車、絶食戦術で警察を悩ませる共産党員に鼻からの食物注入成功、メチルアルコール入りの悪質酒の摘発など。
1953年(昭和28年)、いわゆる「バカヤロー解散」のときの候補者新聞広告です(愛知県)。わざわざ自由党(〇〇派)と表記してあるところが当時の党内の対立を物語っています。伏してお願いというのも面白いです。
1937年(昭和12年)の朝日新聞社の国際・軍事情勢本の広告です。戦前の雑誌はこういう「日米もし戦わば」「欧州の情勢今後の予想」など国際情勢を分析しているものが非常に多く、ニーズが高かったんだろうと思います。
こちらは1935年(昭和10年)頃、同じく愛知県の岡崎市内乗り物表です。
24時制表示ではなく、名鉄の時刻表を例にすると左上から右下へと続いています。運行はJR(国営鉄道)が1時間1本、名鉄が1時間に3本ペースですね。
先ほどの東岡崎駅の写真とこちらは「岡崎と額田の100年」という本からです。