@gigir 自室であるんですが、原作のこの右下のコマ、特に
「なんか すごい なんか…… すごい やだ」
という凄く今井哲也作品らしい極めて魅力的な言い回しはたぶん、なかった(だいぶやりとり短くなりましたし)。
アニメ版チェンソーマン3話、パワーにだまされたことを察したデンジとパワーが斧と血の金槌を振るい合う場面。
原作では割とコマ数も使って表現してるところをあえてスローモーションとかにせず、すっと短く出す呼吸が良かった。普通(?)、もっともっさりやっちゃいそうだから。
『ぼくらのよあけ』のナナコはどうやって飛ぶのか?。たぶん、その問いに対してはこれ(添付)とだいたい同じ対応でいいのでは?と個人的には思ってた。
原作の「暇ならベースやって!」にアニメは「なんで」「だって私、リョウのベース好きだし!」と加えて。虹夏さんの相手をしっかり見据えて食い込む翻案は1話からずっとだなー。
原作「音楽になるんだよ」はアニメで「音楽になって、それが結束バンドの色になるんだから」とされる。
そうして出来上がった作詞にリョウだけでなく、アニメでは虹夏「でもさ、この歌詞本当にいいよぼっちちゃん」喜多ちゃん「あ、私ここのフレーズ、好きです!」(リョウ「私も」)と加えてる。
とりあえず、主にわかりゃすい台詞の翻案見ていくだけでも丁寧な作りしてるなーと思わされる。
ちなみに原作では個性を捨てたら死んだのと一緒なのはバンド、それがアニメ版では「個性捨てたら死んでるのと一緒だよ」バンドどころでなく、自分自身が死んでしまう、そういうものなんだと言っていたりする。
アリスと蔵六、連載最新話(43話)。
添付1枚目の二人の眼の描き方、少し異例というか、そうあるべくして描き込んでる場面だなと思った。
2枚目。思い切りのよい設定入れてきて、好き。
3枚目。「みんなが今日の立役者だね」いい台詞。
4枚目。今井哲也作品の描く"ちゃんとした大人"だなあ、と。
ところで「カラカラ」がまず山田リョウの曲であるとして、そう、「カラカラ」だよね「カラコロコロカラ」じゃないよね、うん、良かったね……
※添付画像は原作漫画『ぼっち・ざ・ろっく!』2巻p27より。
漫画チェンソーマン109話「簡単なイジメのなくしかた」。正義の悪魔の前にヒーロー然として現れ戦い始めつつ、まったく相手は眼中にないチェンソーマン……という話の冒頭にこう鳥が飛んでると、鳥を通じナユタの眼が見据えている、その視界の中に収められてる出来事なんだろうなあ、ってなる。
アニメ版チェンソーマン4話、「コン」の演出こんな感じかー。
なんというか原作の"世界の理を超えて(なんならいわゆる「第四の壁」も超えて)"の一撃という風情までは出てないような。これだと地獄の例の場面の方も……。
まあ「じゃあどうすればよかったんだ」と聞かれても困るけど。
チェンソーマンアニメ版4話と原作該当部分。
https://t.co/hVJlekflgS
アニメ版は二人の目つきの描き方を(原作と比較すればわかりやすいように)だいぶ近づけて、対にして描いてるよ、って表現しているように見える。