10話。保健室で原作では用紙を巡ってこんな(添付)会話があるけど。
アニメでは「絶対参加しようと盛り上がって目をキラキラさせて話を進めてしまう…」とひとりは懸念しつつどうか机の上の用紙に気づかないでと願って。
喜多ちゃんも気づいていないふりを通す。
#ぼっち・ざ・ろっく
10話。謝罪の場面ももちろん喜多ちゃんの心の動きも台詞も、ひとりの受け答えも原作から大きく異なっていて。
ひとりの側で特に大きいのは「感謝してます」の後に、
"しっかり相手の顔をみて「ありがとう」と言った"こと。
少しでなく、だいぶ変わっている。そして、
#ぼっち・ざ・ろっく
削られているといえば例えば喫茶店での「何かあの二人ずっと妙な絆が生まれてるんですよ!」も。そりゃあ、そんなのよりずっと重い気持ち抱えてるんだから、そうなるよね。ちなみにギターソロ追加の話、
#ぼっち・ざ・ろっく
原作ではなかった山田リョウの
「セトリなら決めてある。「文化祭でるかも」って言われてからずっと考えてた」
と良い感じに(珍しく)株を上げてくる台詞が増えていたりもする。
#ぼっち・ざ・ろっく
10話。文化祭ライブの話を聞いての虹夏さん、原作から
「ライブハウスとは違う良さがあるよ」
と台詞が追加されてる。8話で明かされたようにライブハウスに並々ならぬ思い入れがある虹夏の台詞だからこそ、面白いなー。
#ぼっち・ざ・ろっく
10話感想、一つ追記で。
https://t.co/psXJx8nYHO
アニメでは謝罪の後の
「私ね、どうしても後藤さんに文化祭ライブ出て欲しかったんだ。だって、後藤さんは……」
とよく似た台詞は原作にも別の所で出てくる。
だから追加でなく構成変更なのだけど、巧みな変更だと思う。
#ぼっち・ざ・ろっく
10話。山田リョウのオタクな早口語りに対して原作での適当に受け答えてる(そして虹夏もそれに気づく)くだりがアニメではカットされ、描かれている限りではごく真面目に話聴いている風情になって。喜多ちゃんの人徳(?)が更に増している……。
#ぼっち・ざ・ろっく
10話。
「でも、文化祭ライブ…
よかったら来てください」
ここも
https://t.co/Vs4nHZUA2F
しっかり相手の顔を見て話すし。
「よかったら…来てください…」でなく「よかったら、来てください」と言い切れてる。
廣井きくりも驚きの成長だし、そして、
#ぼっち・ざ・ろっく
10話。ほぼ最後の場面、喜多ちゃんの追加練習願いのくだりもいろんな積み重ねが言葉とそして心情と理解の変化に繋がってる。
「バイトの後、私のギター練習観てもらえませんか?」
深く頭を下げ、言葉にも必死の気配を漂わせる喜多ちゃん。
その申し出に原作では驚いた二人が、
#ぼっち・ざ・ろっく
例によって原作と比べながら観るとより面白いのだけど。
しばらく、あえて横に並び顔を見ずに話す喜多ちゃん。その緊張感。
「あ、あと出しておいたからね」となんでもないことのように、でも思いきって切り出したに違いない(外から観れば結構わざとらしい何気なさになってる)
#ぼっち・ざ・ろっく
こうした細かい言語感覚と意味合いを踏まえた翻案はぼっち・ざ・ろっく!でいつも感心させられる点の一つで。
例えば
原作「演者はヒーローになれるんだ…」
アニメ「演者はヒーロー」
あたりも。
「なれる」でなくそのもの、言い切りの形。
この瞬間はひとりも客目線ということでもある。
>RT