「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」、凄いよかった。世界が狂ってるというのは何もあの家の環境だけじゃなくて、大きすぎる富士山とかでかい虫とか地殻とマントルの境目なんかも狂った世界が露出してる部分であり、俳句はそれを自分の内に溜めていつでも取り出せる方法の一つとしてある。
そもそも永井圭のキャラクターを示すこのセリフからしてバルカン人と地球人のハーフであるスポックのことじゃん、となる。
ナイフと草刈機という切断イメージの重なり。また円形のモチーフは回転する刃から銃口へ置き換えられる(それはFILE:31における戦闘ヘリの銃口とも重なる)。
『亜人』9巻を再読してて気づいたこと。FILE:42「平沢」において主人公の味方である平沢は佐藤を代行している。
断頭に怯えていたが合理的推論に瑕疵がないとはいえ復活の保証も無いのに自殺すること、佐藤の侵入ルートを見誤ったが入間基地からの逃走ルートを正確に予測したことなど、『亜人』16巻における永井圭はフォージ安全編での敗北から挽回するような行動をしている。
『亜人』16巻のトム・クルーズ的アクションから振り返ると、12巻の壁越えも『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』のオマージュだったんじゃないかと思えてくるんですよ。
「われわれが頭蓋の背後にかかえている『未知の身体』の発生、まだ視覚からのがれていふ可視的なものの誕生なのである」という部分はIBMへの説明みたい。