また、チヤルカのこの対応が些か後手に回り、結果ユパの死という悲劇の一因になった面は否めません。しかし同時に、チヤルカ達と共に動いた女性や子供・老人・僧侶らの「人の鎖」が過激派の気勢を削ぎ、ユパ一人の犠牲に「抑え込んだ」のもまた事実なのです。
というのも、ここで謹慎する、チヤルカ「以外」の僧会幹部に対する民衆の心証は、長年の圧政への怨嗟もあって最悪の状況でした。もしチヤルカがこの場にいなければ、それこそトルメキアそっちのけで「内乱」すら起きかねないでしょう。
即ち、チヤルカは他の僧会幹部ー皇弟派・皇兄派問わずーと共に、亡き皇帝の冥福を祈りながら「謹慎」していました。難民代表達が「難民救出に尽力した
チヤルカは他の者とは違う!」と説いても、かくも慎重姿勢であったのは、彼の誠実さもさりながらバランス感覚も大きく影響したと思われます。
同じ様に7巻。ナムリスの粛清から解放された後、土鬼難民とクシャナ達トルメキアの間で一触即発となった折です。この時チヤルカは、調停を求める難民代表に対し、極めて「抑制的」に対応します。
例えば、ナウシカが避難誘導した難民を救出する場面。ナウシカを「使徒」と信じた民衆が、僧会に禁じられた旧信仰の経典を唱えだすや、チヤルカは空砲でこれを一時鎮めると同時に「皇帝への忠誠の無い者は乗せんぞ!」と宣言します。ここの匙加減が実に絶妙。
ことここに至り、チヤルカは遂に(土鬼の民を救うため戦を止めようとする点で)ナウシカの「同志」となります。それでもなお亡きミラルパに忠義を尽くすところがチヤルカらしいのですが、恐らくそんな愚直なまでの誠実さ故、ナウシカもチヤルカを「僧官さま」と敬意を込めて呼ぶようになります。
この複雑矛盾したチヤルカの心は上層部の愚行ー大海嘯の最中に内乱を起こし、あまつさえ殺し合いすら始めるーを見て固まります。自らの命を賭してもこの殺し合いを止める。ナウシカや蟲達が命を賭して「世界」を守ろうとしたように、と。
そしてナウシカとの共闘を続ける内にチヤルカは確信します。ナウシカは土鬼の敵ではない、「青い衣の者」=邪教徒の首魁と見るのは誤りであると。これを、「でも皇弟はとても理解しないだろう」という思いと、同時にそれでも揺るがぬ忠誠心とともに抱えるのが彼の複雑矛盾かつ魅力的なところです。
しかし、大海嘯の進行が状況を変えます。粘菌が帝国各地に発生し戦線は崩壊、多くの民が危機に瀕する中、もはや戦争「どころでは」なくなります。そしてチヤルカは、大海嘯の危機を訴えたナウシカとの「共闘体制」に入ります。
かくて思い止まったチヤルカはナウシカを丁重に遇します。但しまだ、あくまで「命の恩人」への義理として。たとえ「敵」であっても許されるであろう礼節の範囲内で。