実際、単行本版ではナウシカが「観察者として」気付いた事象に基づき真相に近づく描写が加筆されており、単行本化に際しての「立ち位置の変化」が窺われます。…とはいえ、インパクトある描写だけに惜しい削除ですね(85頁アタマ(引用二枚目)には少しだけその名残が見えますが大分薄れている感じが…)
ですが、実際の蟲たちは人間の愚行(粘菌ばら撒き)に怒り狂うわけでもなく、不安に怯える粘菌を腐海に迎えるべく、自らが苗床となろうとしているだけでした。そこにあるのは只、仲間と見なした粘菌へのいたわりの心だけになります。
ではまず、その一頁以上に引き伸ばされた断罪の中身ですが、一言でまとめれば「神聖な役目(世界浄化)の為に蟲が死ぬのはおかしいというが、真実探求の旅という自分の役目(?)の為に人殺しまでしてきたお前が言えた義理か?」となります。そんなナウシカに、蟲達の死を嘆き悲しむ資格などあるのか、と。
例によってこの部分も単行本版での追加になります。より正確には、連載版では一コマに纏められた虚無からの断罪(一枚目)が、単行本版において一ページ以上に引き伸ばされたもの(その最初が二枚目、最後が三枚目)の、最後に追加された一言になります。
>RT
あ、コミケ100の当落発表、今日なのか…ドキドキ
折角原稿も完成に近づきつつあるので、どうか受かりますように。あと、当落報告用画像貼っておきますね。
#コミケ100
けどそれは反省も変化も拒むことと同義なので、文字通り「先の無い」話ではある(にしても「テロサーの姫」は不謹慎ながら言い得て妙かもしれませんね…)
某元日本赤軍幹部が出所後に一部界隈で持て囃されている現象、要はこれ(↓)なのかもしれない。自分の過去を否定したくないというか、否定したらなにも残らない恐怖というか。
〉チコちゃんの件
マナー講師こと失礼クリエーターの皆様、もし役立つとしたらマナー云々ではなく反面教師としてなのでは…
実はこの点の前提となる「何故王蟲達は人間の愚行のせいで死ななければならないのか」が単行本版では深掘りされています(左)。連載版(右)では「死なないで」という単純な思いがもう少し強く、それが「心をひらいて」という叫びに現れています。
それは、他ならぬナウシカ自身がこれまでの旅路で直接間接に多くの命を手にかけてきたことです。王蟲を人間の犠牲にすることはおかしい違うというのなら、お前が犠牲にしてきた人間達はどうなるのか。お前などに王蟲の死を悼む資格などあるのか、と。
連載版ではこの二頁は以下の一コマに纏められていますので、かなりの加筆になります。てか痛い、痛い。ちくちく過ぎて辛い…!が、何故にナウシカの内なる虚無はこの場面でこれ程自己批判のボルテージをあげてきたのでしょうか。
#ナウシカ 五巻大海嘯編のアニメージュ連載号が漸く揃ったのですが、案の定というか「虚無」の部分がえぐい程加筆修正されていました。特に二度目の出現で、ナウシカの手は血塗れではないかと批判する部分(142-143頁)は全面新規だったりします。