今週の #逃げ上手の若君 は巻頭カラー&尊氏様回!護良親王の殺意満々攻撃を片手で軽くいなす尊氏様の本心はやはり未だ底知れませぬが、意外と本人にもわかっていないのでは…とも思える具合が面白いですね。実際、親王に対しては殺意の欠片も示さない(眼中にないだけかもしれませんが…)
まず、両者とも「体の一部」から培養できる点があります。王蟲は卵の欠片から、ヒドラは死体からですが、直前の描写を見るとこの「死体」、ヒドラ化した末に遂に限界を迎えて朽ち果てた「元人間」にも見えるため、その場合は正に王蟲同様の「再利用」となります。
第二に、両者とも極めて激しい攻撃衝動を持つ点です。ただヒドラは平常が狂暴なのを何とか抑える一方、蟲は平常、害を加えられない限りは温厚に見える点は異なります。が、この点は後でもう一度検討します。
第三に、そして最も興味深い点として、両者とも音に極めて敏感であり、また音によりある程度制御できる点です。即ち、歯に細工をした「チッチッ」と、「蟲笛」は空気を使い特殊な音=信号をだす点で、本質的には全く同じものになるのです。
そこで考えられるのが、「蟲はヒドラをベースに設計された」という仮説です。即ち、蟲はヒドラ製造技術を元に、腐海に適応繁殖する生態系と大海嘯を自ら起こす「理性」を後付けされた存在である、というものです。そして、この仮説により幾つかの疑問にも一定の説明がつきます。
まず、先に述べた音属性(?)です。これは元々ベースとなるヒドラのものが引き継がれており、蟲としての役割上は積極的に意図された性質ではなかった、と考えることができます。
この点で興味深いのが墓所と庭園のヒドラの対比です。即ち前者が狂暴きわまりないバーサーカー擬きであるのに対し、庭園でのそれは牧人も含め穏やかな農夫そのものです。このことはヒドラ(や蟲)の狂暴性が設計者により「仕組まれた」ものであることを示唆しています。
閑話休題。上記仮説でもう一つ説明できそうなのが、僧会における蟲への蔑視です。今まで見てきたように、これには邪教=旧クルバルカ王朝に連なる信仰への弾圧や、墓所由来技術を権威の源泉とする僧会の在り方がまずは起因しています。
が、更に僧会幹部がヒドラと蟲が本質的に同じと知っていた場合、この蔑視には別の意味が入っています。何となれば彼らにとりヒドラとは、音で操る知性ゼロの人造サボテンバーサーカー(かつ先帝の御禁制)であり、それと大差ない代物を神聖視するなど「土民の愚行」に他ならなくなるからです。