例えばクシャナは、一度はナウシカに己と相容れぬ部分を見出だしながら、仇のあえない最期で生きる意味を見失い、流浪を重ねた末に、ナウシカにはなれずともその指し示す道=王道を歩む決意を固めるに至ります。 
   また物語中盤にナウシカの宿敵となる皇弟ミラルパは兄曰く若い頃はナウシカそっくりの、理想に燃える慈悲深い名君でした。老いて不信と憎悪に支配された暴君となったミラルパは、「曾ての自分」に対峙し、今の姿を「みじめであわれ」と断じられることで大打撃を受けます。 
   その後兄に謀殺され、霊体となったミラルパは、皮肉なことに宿敵にして自身の若き姿たるナウシカの導きで宿業を洗い落とし、成仏していくこととなります。 
   ナウシカ世界の非差別民たる蟲遣い達もまたナウシカとの出逢いを機に変わっていきます。ナウシカを遂に与えられた神=嘗ての日々との決別の証と崇めた蟲遣い達は、彼女から「同じ友になる」ことを求められ、そうして掛替えの無い仲間となることを誓います。 
   最後には蟲遣い達は、故郷の腐海を離れ、財産もパートナーである蟲も手放して、ナウシカのシュワ行きに同行することとなります。ナウシカとの出会いで一番世界が変わったのは、実は彼ら蟲遣いになるのかもしれません。 
   そうした意味で「ナウシカ」において家族の影が薄いのは、ナウシカを含む皆が家族・故郷から「一歩踏み出したさきの」新たな出会い・別れ・成長を描く、登場人物一人一人にとっての冒険譚だからと言えるのではないでしょうか。 
   そして、「ナウシカ」の主題にそうした出会い・別れ・成長を位置付けた場合、ラスボスとしての墓所の性格も中々興味深いものになってきます。即ち、遠い過去に仕組まれた世界浄化計画の遂行のみを重視する点で墓所は、過去に対峙する存在ではなく「過去そのもの」であり(続く)、 
   蛇足すれば、これは「庭園」の牧人がラスボスたりえない理由ともなります。確かに彼(?)は過去に仕組まれた計画のサポートがその存在意義ですが、同時に計画の過程たる現在に生じる「悲しみ」を癒そうとする点で現在にコミットし、精神的に成長しうる存在と言えるからです。 
   今週の #逃げ上手の若君 、征蟻党、遂に覆滅す。頭の過去が教科書に言う均分相続⇒惣領制への移行過程に重なりますね。この軋轢が南北朝、観応の擾乱にも繋がると。そして回想ながら初登場した楠正成公、この後もあちこちで影響を及ぼすことになるのでしょうか…?