さて、風の谷といえば「谷の自治を保証する」チート兵器ことガンシップです。ミト曰く、百年前に製造され現存するのは只一機であり、城の基部にはスクラップとおぼしき夥しい機体残骸が見えますが、これが全てこの百年で喪われたものなのかは疑問が残ります。
更にその信仰のなかでは、ナウシカが擬せられた青き衣の者/白き翼の使徒は彼岸・極楽としての「青き清浄の地」への導き手とされました。
また恐らくこのことに関連して、ナウシカが牧人の誘惑を喝破する際の台詞も、連載版の「私を愛さなかったが癒されぬ悲しみを教えてくれた」から単行本版「癒されぬ悲しみを教えてくれたが母は私を愛さなかった」と微妙に変えられています。
今週号の #逃げ上手の若君 は、ゲンバ君の乱世・新時代を象徴するような「おちょくり方」が痛快でした。そんな彼が毒づきながらも、旧時代の御曹司・時行君に仕えるというのもまた面白い因果ですね(単なるツ●デレにも見えなくはないが)。
しかしここでナウシカは大きな欺瞞を「我が子」対し行います。本当は墓所ともども、旧世界の災禍の源たる「我が子」の死ー墓所との相討ちーを願っている。それは自分を愛さなかった/愛せなかった母よりもっと残酷な仕打ちではないか?後に牧人により、まさにこの点をナウシカは責められます。
そうした巨大産業文明末期のえげつなさ、生命の価値の軽さが伺えるのが三巻でユパが語る「人間が欲するままに作り替えた」動植物の姿です。肉の塊にしか見えない鶏、実だけが異様に大きい植物は美味しそうを通り越してもはやグロテスクであり、人間用栄養装置としての機能だけが追求されています。
が、更に僧会幹部がヒドラと蟲が本質的に同じと知っていた場合、この蔑視には別の意味が入っています。何となれば彼らにとりヒドラとは、音で操る知性ゼロの人造サボテンバーサーカー(かつ先帝の御禁制)であり、それと大差ない代物を神聖視するなど「土民の愚行」に他ならなくなるからです。
実際、基地に隣接するとおぼしきカボの「王都」はチラッと見える範囲でも二~三重の城壁を持つかなり大きな都城であり、腐海を越えてエフタルとも交易があったとすれば、かなり重要な交易拠点として栄えていたのではないかと思われます。