また、「浅さ」についてですが、漫画版では、中洲に取り残された幼生を迎えに湖へ突進した王蟲が、ナウシカ達のかなり目の前まで湖中に沈まず辿り着き、そこで溶けていく様子が描かれます。勿論、湖上を王蟲が泳いだ可能性もありますが、もし普通に走破したとすると、湖の水深はかなり浅くなります。
こうした復讐「後」のビジョンの無さは、先に取り上げたユパ達への降伏後のやり取りでも見て取れます。ここで初めて「王道」を語るクシャナはとても投げやりで、自身がその「王道」を歩もうとする気概など微塵も感じられません。まるっきり他人事なのです。
ことここに至り、チヤルカは遂に(土鬼の民を救うため戦を止めようとする点で)ナウシカの「同志」となります。それでもなお亡きミラルパに忠義を尽くすところがチヤルカらしいのですが、恐らくそんな愚直なまでの誠実さ故、ナウシカもチヤルカを「僧官さま」と敬意を込めて呼ぶようになります。
そして「火の七日間」に続くこの絵です。絵コンテには「死の鳥がとびかう世界」とあり、直後に別絵で腐海誕生が描かれることから、この「死の鳥」は、火の七日間「後」の破局ー残された僅かな土地と資源を巡る争い、疫病、飢餓ーを象徴しているのではないか。ちょうどエフタル大海嘯の後の様に…
この複雑矛盾したチヤルカの心は上層部の愚行ー大海嘯の最中に内乱を起こし、あまつさえ殺し合いすら始めるーを見て固まります。自らの命を賭してもこの殺し合いを止める。ナウシカや蟲達が命を賭して「世界」を守ろうとしたように、と。
しかし、かなり早い段階でユパは自分の限界も悟ります。ナウシカが見つけた秘密ー清浄な土と水の中では腐海植物も瘴気を出さないーを目にしたユパは愕然とします。自分が半生追い求めたナゾのカギが目の前の少女にあることに今まで気づかなかったとは!
とはいえ、シュワ近くの「庭」がすべての種子を「ノアの方舟」宜しく保管するのは容量的に無理があり、寧ろ世界再生に備えた「貯蔵庫」として同様の施設が複数建設されていたと考えられます。事実、ナウシカも「他の」庭園の存在を推測しています。
漫画版・映画版とも物語冒頭のユパは「探す者」として行動します。腐海の存在意義、そして人類は腐海にこのまま呑まれる定めなのかについて答えを求めるべく、ユパは長らく腐海をさ迷ってきました。
というのは、肝心のクシャナを取り逃し、かつヴ王の都合で曖昧な決着となった結果、クシャナの三皇子に対する敵意は妥協不可能で強固なものになってしまったからです。クシャナ一派を殲滅できず、さりはとて懐柔も出来ず、かくて三皇子は父王への追従(&謀略)との二正面作戦を余儀なくされます。
更に更に、牧人の薬湯には記憶を操作し、性格を変える効果もあるような描写があります。成程、これならば墓所が語るように、汚染に適合した人類を清浄な世界に再適合させることも「技術的には」十分可能でしょう(墓所にその気があるかは別として…)。
更にヒドラ化との関連は不明ですが、複製技術により若い肉体への転移も可能なようです。が、こちらは失敗すると肉体崩壊(?!)のリスクがあり、ヒドラ化についても千年以内で耐用年数上の肉体限界が来るようです(なお頭だけになっても生きてる模様…)
ヴ王にとり、墓所はあくまで「奇跡の技」やその成果を得る場所に過ぎず、人造物たる墓所の主に王に「選ばれる」ー或いはその見返りに奇跡の技を「恵んでもらう」などというのは屈辱、筋違いな扱いもいいところでしょう。