この追加された場面とちょうど対になると思われるのが、庭園でナウシカが語る「母との思い出」です。いわく、自分を決して愛さなかった母に、更に忘れ去られてしまうのが怖いために、母が気づくまでずっーと待っていたのだと。 
   腐海は過去、三度の大海嘯で大きく広がったとされますが、大ババいわく三度目のエフタル大海嘯では一気に二千リーグも突出したと。一度目二度目も同規模であれば、腐海の広がりは六千リーグ、約一万キロとなり、これはなんとほぼユーラシア大陸を横断する規模になってしまいます。 
   「逃げ上手の若君」読みたさに遂にジャンプアプリの定期購読を開始(流石に毎週紙雑誌買うのはスペースが…)。相変わらずの諏訪さんの顔芸と、遂に「逃げる」からプラスアルファの一歩を踏み出した時行さんが熱い!
#逃げ上手の若君 
   次に先述した「庭園」での二皇子による演奏会。二人は書斎から古代の楽譜を見つけ出すとその価値を即座に理解、更には備え付けの楽器向けにアレンジすると初見で演奏を始めるのですが、あの牧人が「なかなかの腕前」と評するのだから大したものです。 
   最後にミラルパの霊は実際の「青き清浄の地」で消滅=成仏します。現世での執着を捨て、幸福感に包まれながら消えていく…ある意味理想的な最期かもしれません。ですが、それは本当にミラルパにとって「幸せ」だったのでしょうか? 
   こうしてみていくと、やはり三皇子は王位に向いていないというか、担ぎ上げられたポジションが悪かったという気がしなくもありません。とはいえ、クシャナ毒殺を狙ったこと、その後も執拗に陰謀を企て、また第三皇子のように面と向かいクシャナ殿下(とその母上)を愚弄した点は免罪し難いですねぇ… 
   更にクシャナはナウシカを全軍の前で「只一人盟約国から馳せ参じた勇士」として紹介します。このことと戦場での奮戦が、サパタ部隊からの信用獲得と、ひいては土鬼大海嘯からの部隊救出にも繋がっていきます。 
   そうしたナウシカの転機となるのが、②サパタ戦への「参加」です。ここで捕虜解放を求めるナウシカは、クシャナから交換条件として戦闘への参加を求められます
。ここで面白いのはクシャナの側の意図です。彼女は何故、ナウシカに「手を汚せ」(歌舞伎版)と迫ったのでしょうか。 
   そうして二人は闇の荒野から光溢れる腐海(!)に辿り着きます。その森は現実の腐海にナウシカの精神を導くための、彼女の「内なる心の森」でした。そしてナウシカはミラルパをこの森に連れ込みます。この森が自分の心ならあの虚無もーその虚無に取りついた亡霊もー内なる自分であるとして。