即ち、カボで蟲に襲われたと思われる第三皇子のために上兄達は捜索隊を出すのですが、この時使われたのはトルメキア王室専用の重コルベットでした。ここで二皇子は直接には描かれていないのですが、王族座乗艦たる重コルベットの登場自体、二皇子が直接弟の捜索に当たっていたことを示唆しています。
更に奇妙なのは、墓所(?)内に多数の僧会幹部が犇めいていることです。7巻では「墓内は聖域で、王以外入れない」とされていたため、整合性を取ろうとすれば、これらは厳密には「墓所」の外、旧世界由来ではない施設と考えられます。
販売ありの絵画展で凄い絵に出会うと、お値段よりも前に心の中のスルト元帥が「家も調度品も合わせないと絵に失礼だろ!」と身の丈を超えるツッコミを叫ばれるので、やはり個人的に絵は美術館や展示会で眺めるのがよさそう…
敢えてそこに理屈?を付けると、この時代の機体はセラミック板のツギハギ(トルメキア)だたり木製(土鬼)だったりして強度に難があり、故にエンジン本来の出力をフル発揮できなかった-その中で風の谷のガンシップは弾力性に優れた王蟲の甲皮製のため比較的ムリをできた―と見るのはどうでしょうか?
こうした迷走、場当たり的行動のツケが回ったのが7巻の難民宿営地での衝突でした。この事件の発端はクシャナ側の不用意な行動=休戦もせずにシュワに行くフネを土鬼側から借りようとしたことであり、慎重に行動すれば(チヤルカに根回しするなど)回避できた衝突でした。
実際、7巻で出てきた本当の「墓所」内には聖域足る地下の「主の間」ほか、墓に住み着いた教団員が作った町兼研究所やらヒドラの培養槽など、ヤバげな機密で満ち溢れており、ここを僧会メンバーが日常的に行き来したとは(たとえ「封印」前でも)考えにくいでしょう。
ナウシカの時代には実はほぼエフタル大海嘯の記憶すら一部の人間を除き(当のエフタル人にすら)忘却されており、土鬼では邪教の伝承扱いでした。かかる状況故にこそ、不用意な腐海の軍事利用が行われ、4回目の大海嘯が引き起こされたのですが、(続く)
勿論、ここでのナウシカは①段階と異なり、激情で我を忘れることなく自覚的に戦いを行っています。が、こうしたナウシカの「危うい」戦い方は、彼女自身の内なる虚無に激しく非難されます。他人(ミラルパ等、欲望・憎悪に翻弄され虚無に呑まれた者たち)の愚行をお前はとやかく言えた義理なのか、と。
まず①の段階ですが、ナウシカはトルメキア兵の挑発や土鬼兵の狼藉に「我を忘れて」激発し、その後に後悔に駆られます。そんな彼女に歌舞伎版ユパは「憎しみから逃げてはならぬ」と諭しますが、この点は後々漫画版でも重要にはなります。
まず「瘴気」の存在です。これは浄化過程での「副産物」に過ぎないのですが、人や動植物を即死させる猛毒で、人々が腐海を恐れ警戒する最大の理由になっています。これは同時に、「腐海を破壊する」動機になりうる点では腐海にとって危険でもあります。