そうして蟲使い達はナウシカの「守り人」「友達」としてシュワまで彼女に付き従います。その情に厚いところに、ミト達も感化されていく姿に胸が熱くなりますねね。
結局、土鬼帝国とは何処までもミラルパ個人の存在にかかっており、僧会もミラルパ無くしては機能せず、彼の死を以て事実上、土鬼帝国は崩壊したと言えるでしょう。兄ナムリスは、自分の帝国を築くという指向が強く、先代(弟)を継ぐという意識がかなり希薄で、帝国の消滅にすら他人事感が漂います。
この部分は単行本では7巻201頁に該当しますが、絵・台詞とも全面的に差し替えられており、「墓所の神化/非生物化」が修正の重要なテーマであったことを伺わせます。
また恐らくこのことに関連して、ナウシカが牧人の誘惑を喝破する際の台詞も、連載版の「私を愛さなかったが癒されぬ悲しみを教えてくれた」から単行本版「癒されぬ悲しみを教えてくれたが母は私を愛さなかった」と微妙に変えられています。
今週の #逃げ上手の若君 、ここ最近垣間見えつつあった時行君の「逃げ「以外」」の資質、相手への信頼と、その信頼を誠心誠意示そうとする真摯さが際立った回でした。そりゃあ、こんな裸の信頼を思いっきりぶつけられたら、どんなヒトでも応えたくなりますわよねー…
【補遺②】蟲使いの出自について、大ババ様は王蟲乱獲でエフタル大海嘯を招いた武器商人の子孫としますが、これが本当かは疑問が残ります。もし自らが腐海の「怒り」を招いたなら敢えてそこに棲むかという点は勿論、「呪われた武器商人」という表現に定住民側の差別意識正当化が疑われる(続く)
蟲使い達のコンプレックスが別な形で現れたのが、大海嘯から生還した(但し心は未だ戻らぬ)ナウシカを女神と崇めたときの「化外の民に光が届いた」「神を持たぬ苦しみの日々に終わりが来た」という歓喜です。
そして諸侯国の長は僧がなりますーというよりマニやサパタを見る限り、元々の族長を僧にした、という感じでしょうか。彼らを機構の末端に位置付けることで、僧会は民衆レベルまで統治と教化啓蒙(或いは圧政)を行き渡らせている訳です。
そして「生物表現の削除」は連載版からの場面・台詞修正となって現れます。即ち、連載版では墓所は自らの「心臓」を「暗黒の中の唯一の光」といい、これに対しナウシカは「肉腫としみだらけのあわれな光ゴケ」「死ぬことも生きることもできない生き物」と返しています。