そしてナウシカの去った後、牧人たちは語ります。ナウシカは戻ってくるだろうか?否きっと戻ってこない…だが彼女は名前を=心を遺していった。だからもしかするといつかはー牧人たちはきっと、その淡い微かな可能性だけを希望に、明日からも生きていくのでしょう。「またつまらなくなった」庭園で。
そして死の間際、ユパはナウシカにも(恐らく念話で)エールを送りました。それは彼女が敬愛する上人同様、愛しい風=ナウシカのこれからの道行きを祈念するものでした。
閑話休題。上記仮説でもう一つ説明できそうなのが、僧会における蟲への蔑視です。今まで見てきたように、これには邪教=旧クルバルカ王朝に連なる信仰への弾圧や、墓所由来技術を権威の源泉とする僧会の在り方がまずは起因しています。
更に言いかえれば、「能力の専制」への反発とは、「秀でた能力が無くても真っ当に生きられる権利」「不健康で非文化的に生きる権利」を求める声であり、能力研鑽と競争「だけ」をずっと強いられるのはしんどいという声である。みんな5000兆円欲しいし、人生息抜きがあってなんぼなのである。
では「教団」は何の目的で墓所の開示する技術を解析しているかといえば、これはほぼ墓所への「信仰」によると思われます。既に不死ヒドラ化している彼らにとり、墓所の開示する奇跡の技とは「神の啓示」であり、その解読とは神の教典を読み解くことでした。
「水星の魔女」12話が6話から倍率ドンのトラウマ会でそこから暫く放置プレイ後、後期が始まると聞いたしろちち↓
#ナウシカ
こうした復讐「後」のビジョンの無さは、先に取り上げたユパ達への降伏後のやり取りでも見て取れます。ここで初めて「王道」を語るクシャナはとても投げやりで、自身がその「王道」を歩もうとする気概など微塵も感じられません。まるっきり他人事なのです。