かくも深く、殆ど憎悪とすら言えるミラルパの民衆不信は、彼の百年に及ぶ統治の「なれの果て」でした。嘗て民の安寧を心底願った筈のミラルパは、いつまでも不毛な対立を続ける彼らに絶望し、遂には恐怖と圧政で無理矢理抑えつけ従わせるという、本末転倒な晩年に至ります。
そも、トルメキア王国自身に、旧世界の技術を以て世界を復興しようという意志どころか、「世界は再生と浄化の過程にある」という観念すら希薄です。確かにヴ王はシュワの墓所占領を狙いますが、それとて「土鬼が独占していた奇跡の技を手に入れ覇権を握ること」が主目的で世界云々は関心の埓外でした。
この問題を乗り越えたナウシカが語る生死観こそが、墓所と対峙した際の「いずれ死すべき者として、それでも目一杯「現在」を生きること」となるわけです。その意味では、虚無との対話(?)は最終決戦に向けた、避けがたい「試練」だったと言えるのではないでしょうか。
即ち、「庭園」は「人類として残すべき遺産」…動植物の原種・農作物・音楽と詩を永久に伝えるタイムカプセルとして、外界に依存することなく、不死の牧人と農夫ヒドラにより、自律的に維持されています。その遺すべきものの中に当の人間が含まれないのが、この庭園の空恐ろしいところなのですが…
「神人の地」と周囲の海には、絶滅した筈の生物が犇めき、緑に溢れており、シュナがそれまで旅してきた荒涼とした「人間世界」とは対照的な様相を呈しています。このあたりの対比は、ナウシカにおける「庭園」とそっくりです。
蛇足ですが、漫画版ナウシカには、土鬼の伝承として「白い翼を持つ使徒」が現れます。もしこれが遥か遠い過去の、「聖Nova」と「有翼の少女」に纏わる記憶に基づくとすれば、なかなかロマンのある話ですね。
にも拘らず、「庭園」には初代神聖皇帝や森の人が迷い込んだり、或いは牧人自身がナウシカを引き入れたような「隙」があります。これは明らかに意図的or未失の故意と言えるレベルでしょう。では何故、そうした「隙」を「庭園」の管理者たちは作り出すのか?
が、そのクシャナは仇敵である兄死亡後の虚脱と、何より憎悪で染めてきた己の過去に圧し潰されかけていました。7巻、土鬼避難民と一触即発の状態にあってなお、クシャナはユパの説得に対して最早手遅れと諦めの言葉を口にしています(駄々をこねているようにも見えますが…)