そして「青い衣の者」と「白い翼の使徒」は、土鬼民衆の希望の象徴・導き手という点でよく似ています。強いて違いを挙げれば、「白い翼の使徒」には神の使いとしての超常的・神がかり的要素が濃く見られる点でしょう。
また、代王クシャナとチククの個人的友誼はともかく、トルメキアー土鬼両国間の関係は、戦役の経過及び事後の混乱(ユパの犠牲やナウシカ達の尽力で大分抑えられたとはいえ)で微妙なものになったと考られます。これは、土鬼避難民が押し掛けた旧エフタル地域も同様(6巻P106-117 )です。
また恐らく、この「墓所」の二重性は帝国自体の二重性ー皇帝・僧会による恐怖政治と、反面墓所の技術・権威に依存せざるを得ない脆弱性ーをも表すものでした。事実、広義の墓所・大僧院は皇帝消滅で烏合の衆となり、挙げ句真の「墓所」からの一撃により文字通り「消滅」しています。
ナウシカは当初、墓所を「工房の技や知識の貯蔵庫」だと考えていました。単なる貯蔵庫ならば、その破壊にオーマの力は要るが、そこを守る者達とは対話・説得の余地がある…ナウシカはそう考えたからこそ、墓所由来の技術に不穏なものを感じながらも、自身は寸鉄を帯びなかったのではないでしょうか。
そしてトルメキアへの強い敵意。故郷を奪われ、多くの同族も殺された身としては当然ですが、この感情にどう「折り合い」を付けていくかが彼女の物語となります。
そこで考えられるのが、「蟲はヒドラをベースに設計された」という仮説です。即ち、蟲はヒドラ製造技術を元に、腐海に適応繁殖する生態系と大海嘯を自ら起こす「理性」を後付けされた存在である、というものです。そして、この仮説により幾つかの疑問にも一定の説明がつきます。
即ち7巻末、墓所との死闘から生還したナウシカは、墓の体液で王蟲の血より青く染まった衣を纏い、黄昏に照らされ金色に輝く聖都シュワの跡地に降り立ちます。彼女の周りでは蟲使い達が再生の舞を踊り、その光景に(恐らく)チヤルカ達は「伝説の再現」を垣間見ているのです。
即ち、カボで蟲に襲われたと思われる第三皇子のために上兄達は捜索隊を出すのですが、この時使われたのはトルメキア王室専用の重コルベットでした。ここで二皇子は直接には描かれていないのですが、王族座乗艦たる重コルベットの登場自体、二皇子が直接弟の捜索に当たっていたことを示唆しています。
今週の #逃げ上手の若君 、時行君の正体に確証を得られない小笠原貞宗公が時行君を「見逃す」のには、乱世ならではの慎重さ(どう転ぶか判らないときに迂闊に手を出さない)が感じられましたね。そして、すっかり定着した感のある乱世的「ポロリ」(笑)。
それを裏付けるように、ヴ王は続けてナウシカに「もっと早くに会いたかった」と言います。因みにこの部分、アニメージュ連載版では「そなたのような女を妃にしたかった」となっており、中々興味深い改変です。個人的には単行本は王の悔恨に、連載版は王の孤独に焦点が当たっていて面白いですね。
ところがどっこい、対地攻撃は中々に強力で、籠城中の第三軍への総攻撃は圧巻でした。実際、艦全体を見れば明らかですが、対地用の艦下部砲塔は上部・側面砲塔と比べ圧倒的に巨大であり、浮砲台の「主敵」が下方/地上にあることを如実に示しています。
逆に一番「不完全」なのが墓所にはなります。何せシュワの地にこれでもかと威容を誇り、土鬼歴代王朝を侍らせ、超技術をエサに彼らを操らなければ目的=計画監視と人類への干渉をなし得ないのですから。