ただ同時に、主人公達は何度失敗してもーそれこそ因果を捻じ曲げてでもー少女を解放しようと頑張り続けたわけで、その姿にはナウシカが言う「血を吐きつつ繰り返し朝を超えて飛ぶ鳥」という希望もまた垣間見えるのですが。
一方、「青い衣の者」には民衆を導く指導者・メシアという面が強くなります。それゆえ土鬼皇帝は「青い衣の者」の「容疑者」が出るや反乱指導者として大騒ぎし、その都度八つ裂きに処してきたとされます。
以上をまとめると、僧会にはミラルパの「手足」以上の自律的行政機能は乏しく、それ故彼の威を借りた専横と責任回避が横行、挙げ句彼の死とともに事実上瓦解しました。一方ミラルパの側も、「僧会を通じた教化」という理念に縛られて現実から遊離、圧政の度を深めたと言えるのではないでしょうか。
まず、ユパは身を以てクシャナを庇い、またマニ僧正降臨という「奇跡」もあって(これもユパ本人とマニ僧正の「縁」あってのことと思いますが)土鬼側を鎮め、「憎悪の連鎖」を止めてみせます。余談ですがこの部分は映画版ナウシカのクライマックスにも若干重なるものがありますね。
まずは対面時から。顔を見て一言二言交わすだけで早くも「狂信者の類ではないのでは」と考えを変えます。勿論、主君たるミラルパのーひいては帝国のー「敵」であることは変わらないのですが、少なくとも予断に凝り固まらない柔軟さが早くも伺えます。
その事実ー人間の愚行が粘菌や、本来全く無関係な腐海・王蟲の自己犠牲的死まで招いたことーの重さに耐え兼ねたナウシカは自らも死を望み、結果虚無に喰われかけてしまいました。
そんな彼等に「危うさ」などあるのか?実はそれが顕になるのが庭園での牧人の告発です。彼は言います。今まで何人もの「森の人」がシュワを目指す途中でこの箱庭に囚われ、火を捨てても決して得られなかった平安を得て良き園丁となり死んでいった、と。
上記には大分妄想が入ってしまいましたが、見所としては最期を迎えるユパに真っ先に駆け寄り、その死を心から嘆き悲しむところでしょう。他の者がユパの犠牲に感謝する、その遺志を噛み締める中で、ユパ自身を心から案じるケチャはやはり凄く心優しい良い子ですね。