そしてその「墓所の主」です。「未来における世界浄化」という「大義」のために、かけがえのない現在(と今を生きる生命)を再生への道程≒ドレイとする墓所の在り方は、土鬼を死の影の色濃い地とし、歴代王朝をその虚無に飲み込んできました。正にこの世界の「虚無の源」といえる存在です。
その兄ナムリスもまた、刹那的快楽主義的に生きているようで、その実「何をやっても墓所の主の言う通りにしかならない、もう生き飽きた」という、この上ない虚無に囚われていました。ナムリスほどの者が思うまま生きられないとは、その絶望如何ばかりか…
最終幕、墓所の体液で青く染まったナウシカは、夕日を受け金色に輝くシュワの都跡に降り立ちます。あたかも「青き衣の者」伝説をなぞるかのように。
覚醒当初の巨神兵は「ママを守るため」戦えないことに苛立ち、時に殺戮を楽しむ共謀な性格でしたが、ナウシカにオーマの名前を与えられ、裁定者として自覚することで安定した…とは簡単にはいえない面が実はあります。
もしそうだとしたら、例え火を捨てて腐海と共存できたとしても、そのことに何の意味があるのか。実はそこに「意味」を求める時点で墓所と同じ罠に嵌まりつつあるのですが、そんな彼等に他ならぬナウシカからトドメが刺されます。即ち、腐海は世界浄化のため「だけ」に人間が作り出したものであると。
実際、基地に隣接するとおぼしきカボの「王都」はチラッと見える範囲でも二~三重の城壁を持つかなり大きな都城であり、腐海を越えてエフタルとも交易があったとすれば、かなり重要な交易拠点として栄えていたのではないかと思われます。
手勢は生残り200名弱(とクロトワさん(ここ大事))、本国は弱体化しつつ、その中で相対的最大勢力は仇敵たる兄の一派。これでは、如何にヴ王の指名(道化による証言付き)とはいえ、クシャナが速やかに王位を継承するのは困難でしょう。
今週の #逃げ上手の若君 、基本ノリノリの泥棒ものだが、要所で抉られる鎌倉陥落の記憶と、それはそれとして諏訪で築いた「今」のために戦おうとする時行君の描写がよい。これは確かに大将の器…!
第二に、両者とも極めて激しい攻撃衝動を持つ点です。ただヒドラは平常が狂暴なのを何とか抑える一方、蟲は平常、害を加えられない限りは温厚に見える点は異なります。が、この点は後でもう一度検討します。
第二に、映画版との違いとして、この場面が「ナウシカ自身にとっても」大団円にならなかった点があります。即ち、王蟲との心通う時間はほんのひとときであり、その後王蟲は急に心を閉ざし、北=故郷に帰れとナウシカに告げて去ります。このことは当然のようにナウシカを不安にさせました。
本日のお仕事場、詳細は言えませんが少しだけ「責任者らしいこと」をいたしました。なお晩飯はキチンと取れております(笑)。