また、この点はなぜユパがクシャナに「王道」を託したかにも繋がります。ユパは「残された世界のためにクシャナの力がいる」と高く評価し、助けてきましたが、思うにそれはクシャナが深く傷つき悩み苦しんでいたからこそでした。
そしてまたユパがクシャナに託す新たな指針が「王道」なのですが、その内容についてユパ自身が示唆するところが興味深いところです。即ち「ナウシカにはなれずとも同じ道はいける」のだと。
また、漫画版ナウシカの終盤が浄化神vs.人間/神がプログラムした未来vs.人間たちの生きる現在であったことと、もののけ姫の終盤が森の神vs.人間であったことも興味深い対比です。もっとも、「もののけ姫」で勝ったのが本当に人間なのか、仮に「勝った」としてそれが「よいこと」なのかは微妙ですが…
クシャナ殿下、専用曲とともに花道からサパタへ。出迎えるセネイに「どうした、妾は戻って参った」。続く歓呼三声、ワタクシはじめ全国幾千万の殿下親衛隊志願者には堪らないサービスシーンが満載ですヨ!
また、「神聖な役目」に重きを置く点はナウシカの内なる「虚無」や、墓所の思想に無意識に連なっています。個々の生命より全体の「流れ」を、現在という「過程」より未来(浄化世界に生きられないという焦燥)に囚われている点で、実のところ「森の人」は墓所(まして牧人をや!)には対抗し難いのです。
そして怪人もとい諏訪さんも負けていない。犬追物競技というある種の祭典を舞台にした「外交戦争」に負けじと煽り返すその根性、恐れ入ったり。時行君は結構とばっちりな気もしますが、はてどうやってこの勝負を乗り切るのか、次回が見ものですねコレは。
今週の #逃げ上手の若君 、五大院さん以来のわかりやすい「悪党」でしたねぇ…まぁ歴史的悪党(?)というよりは、顔つきやナレーションも忍〇的ソウカイヤめいていたのですが(笑)。そして何のかのいっても鎌倉滅亡のトラウマがしっかり刻まれている時行君…
これは考えてみれば中々に厳しい要件です。即ち土鬼において新たに王権を建てる場合には、自力で前王権を打倒した上で、その力を捨てて(捨てさせられて?)「丸裸」にならねば墓所から選ばれない=王としての正当性を確保できなくなってしまうからです。
例えば、墓所の主は、相手が自身を世俗で庇護する≒自身の意を汲む限りという条件を付した上で新王を「選び」ます。また、その際は外圧ではなく墓所自身の判断によることを明らかにすべく、新王が「武装解除」することも要件となります。