しずかちゃんのパパは、職業は不明ながら「書斎を持ちパイプを吹かす」など、紙巻たばこのチェリーを愛飲するのび太のパパと比べてあきらかに「上流」感を漂わせている。
さらには親戚に美術評論家もいる。
宇宙世紀系が最大派閥だが、それも「ファースト原理主義」「ZまではOK」「アンチZZ」「MSV至高」「富野福音主義者」などがおり、MSVにしても「パーフェクトとかおもちゃ」とかほざく人には、私もやはり「あんだコラ」となります。
「強くて美しい者は冨を独占できる」世界の常識から、彼は最後まで脱せられなかった。鬼になってなお。
だから鬼になって強くなっても、「あの世界」の冨と地位を保ち続けることが、妓夫太郎にとっての「普通」だった。
コラ画像のネタに使われる「判断が遅い」のシーンも、あれも弟子たちを思っての行為なんですよ。実践なら、悩んでいる間に、ビンタではなく自分の首が切り落とされている。
蔵馬さん、薔薇の鞭持ってても、滑るどことか「めちゃくちゃ似合う」キャラで、かつ蔵馬って超美形キャラながら、それをまったく鼻にかけず、むしろ容姿とかそういうのにこだわらず、母子家庭で母親を大切にし、幽助への恩義を重んじ、良識と常識と友愛の持ち主で、
しずかちゃん自身もバイオリンをたしなみ、ピアノのおけいこをしているなどと、芸術系に理解のある家庭であり、ちなみにバイオリンは母親も嗜んでいたらしい。
芸術系、知識階級の家で、農村ヒエラルキーに該当しない特権階級だったのだろうと。
のび吉の子でありのび太の祖父であるのびるが、厳格な人物だったのも、そんな農村社会の軋轢に反発して厳格な人物となり、やはり周囲からいじめられるのび郎(パパ)を「ケンカに勝つまで帰ってくるな!」としつけたのではなかろうかと。
もしかして野比家は、まだ農村時代の頃から、あまり周囲に馴染めなかったのではなかろうかと、
移住第二世代であるのび吉(のび太の曽祖父)が、ハレー彗星の際、ジャイアンスネ夫の先祖にチューブを買い占められ難儀するが、あの時からすでに始まっていたと。