「舌は肥えすぎないほうがいい」
山岡レベルになると、本人も作中で言うくらい苦労するので、井之頭五郎くらいがちょうどいいってことか。
このシーンの人称の乱れは「弟の親友の、自分に逆らう南斗の拳士」であるレイを前にして、「拳法家」か「支配者」か「友だちの兄ちゃん」か、どのキャラで接していいかラオウ様が地味に混乱しているシーンなんだよ。
「そう、私は『テセウスの船』のようなものよ」
「てせ・・・?」
「えっと・・・あの、『構成する要素を全て取り替えたとしても、同一性は保たれるか』というギリシャ哲学の命題でね?」
「あ、うなぎ屋のタレみたいなものか!」
「その例えやめて!?まちがってないけど!テセウスでお願い!」
>RT
高校時代、アイドルの水着ピンナップを見て、
「本物の巨乳は寝転がったら横に広がる。これは偽物w」
と笑ったやつに、
「揉めぬ乳に偽物も本物もない! 今目の前にあるものこそが真実!!」
と言い放ち黙らせ、「ラオウ」のあだ名を得たT山くんは、いまどうしているのだろうと、ふと思い出した。
「ドラビアンナイト」読んでて、今更気づいたのだが、のび太たちがしずかちゃん助けるために西暦794年のバグダッドに行くはずが、ガイドの間違いで日本の「平安遷都」に立ち会っちゃうアレ、「バクダッド」が「平安の都」って意味だからという高度な歴史ネタだったのな。
「のび太の結婚前夜」での、しずかちゃんのパパののび太評は、「それ褒め過ぎちゃう?」と思われることも多いが、「撃たなければならないとわかっていても、引き金を引けない」という、人類の存亡をかけた戦争中でありながらも、「人間」を捨てなかったのび太は、大したもんだと思うんだがな。
こち亀の名シーンとして話題に上がるこれなんだが、総じて両さんは不良に厳しい。初期後期問わず、時には鉄拳を振りかざし、不良たちに対する。
「昔は食ってたけど、牛や豚のほうが美味かったから」
と、歴史学方面からも殴られた挙げ句、そっと去っていったのが、まぁなんというか、経済動物と愛玩動物を、同じ目線で見ちゃあいかんよなと・・・
ウチの姉に子どもが出来たんだが、「育児が大変ってことはわかってたつもりだが、想像以上だった。毎日が戦場だ」と語っており、そういえば本邦の漫画界最強の母と言われるこの方でさえ、「子育て以上に大変な戦場はなかった」とマジ顔で語ってたのを思い出した。