広義のオカルトをコミュニケーション・ツールとして楽しんでいる人達の所に、狭義オカルトの人が来てマウントとりたがるの、つまりはこんな感じ⬇️で尊敬を集めたいんだなぁと、思ったり。
好ましくないと思うのですよ。
正しさ云々を善意で押し付けてくるなら、逃げれる人は逃げるし、解体できる集まりは解体されるハメになるけど。
みんなしらけて
『あなた、コミュニケーション・ツールを本気で信じてるの?』
と言わざるをえない状況になるのは、よろしくないなぁと思ったり。
願う所を感応納受なさしめ給ひて、天津雷、国津雷、諸々の雷をもて、悪鬼悪霊黄泉国へ打ち落とし給えと、敬ってもうす。
無上霊宝神道加持力。
とすると、目的が変わってしまうと(笑)
たけど、文の流れから『アマビエの姿を見れば流行病から身を守れる』と理解するのを間違いだと言われてもうーんと思うし、
アマビエ信仰的なものが流行った明確な記録がないから、現代でアマビエの絵に疾病退散の意味(効果)を持たせるのもよくない、というのももやっとすると。
今日は東京でも赤気(オーロラ)が見えるかもしれないとの事。
日本では妖怪とされる燭陰(しょくいん)は、『山海経・大荒北経』によれば、北海の鍾山(しょうざん)にすむ、人頭で赤蛇の身体をもつ巨大な龍蛇神で、オーロラの神格化であるとも言われています。
古代の神が東京に顕現すると思うと楽しい。
は、いまよりもずっと多く、その出現を観測して知らせるというのもまた、陰陽師の重要な仕事だった、
のかもしれないのですよ。
ないと。
神話においては、神は人格神であり、人のように喜怒哀楽の感情をもって振る舞う存在であるわけですが。
宗教者サイドが『人格化した神』として布教しているのに、
俗人側が『人格神』として信仰してその人間性に期待したら、本当の神様はそんなんじゃないと梯子をはずすのも
『怪異いかさま博覧亭』より古い2008年の『精怪異聞/時任奏著』は、付喪神自体は人間のすがたをしていないけど、『付喪神が信仰する神』は人間の姿をしているので、
『付喪神の擬人化』に近いと。(狛犬や稲荷社の狐の像は人の姿をしていたけど、付喪神何あつかいだったか覚えてない)。 https://t.co/CkEtnNkKUd