呪術を『術式』というのは『呪術回戦』の影響が強いけど、呪術を数式や方程式に例えて、事象を数字化(記号化)して正しく計算すれば、自分の望む答えが出るという考え方は、京極夏先生の小説『姑獲鳥の夏』で出ていると。
ただ、呪術魔術を数式とつなげるのは、ラグクラフト氏のクトゥルフ神話が先。
密教修験の護身法は、陰陽道の五行論とも紐付けされていて、
浄三業 =金性=肺臓
仏部三昧耶 =火性=心臓
蓮華部三昧耶=木性=肝臓
金剛部三昧耶=土性=脾臓
被甲護身 =水性=腎臓
となっていて、
護身法でもって五行の気を体内の臓器に配して云々、というのがあったり。話半分で。
安倍晴明公は泰山府君神を信仰していました。
密教では泰山府君(太山府君)には毘舎遮(びしゃしゃ)という幽鬼の集団がつかえており、これは太山府君衆とも、死鬼(しき)衆とも呼ばれます。
そうすると、晴明公のつかった『式』とは、泰山府君神の眷属である『死鬼』であったのかも。と虚言を吐く。
宗教というのは、
文化的精神的な『侵略』であり、
先にある文化伝統の『破壊』であり、
宗教的規律による『支配』であり、
先にある宗教との共存や融和は、両方の宗教にとって『自己否定』である。
という面があり、現代において当代の宗教者さんがそれを意識しなくてすむのは、過去の先達の苦悩や⇒
7月5日に何かがおこるという話を、常識的に批判するのも良いけど。
『もしかして』と、人が不可思議な力を畏れ敬う気持ちを持たないなら、それはそれで『宗教』『信仰』『祈り』の必要のない世界だという事にもなるわけで。
天下泰平、鎮護国家、避禍招福を大いにやって見せて、不安を祓除するのも⇒
個人がこれだけ自由に『宗教や信仰を含む、伝統的オカルトの書物や研究資料を目にすることができる』ようになった現代においては、
独学し、必要なものをつなぎ合わせ、自分に合ったものを作り出すという行為は止め難いわけで。
だからこそ伝統的オカルトによる指導が必要なのではないかと文字数 https://t.co/y7tHqITdPl
ちなみに、明治大正頃の本でも、檀拏を『棒』ではなく『髑髏』『頭部』の意味としているものがあったりしますので、
本来的な意味はさておき、
むかしはそういう意味で、使われていた可能性はあったり。 https://t.co/Br3JcgAjso
本日24日は地蔵菩薩尊の縁日です。
民間の拝み屋さんの伝に、
六道世界の救済をする六地蔵菩薩の総真言として
唵 伊伊 娑婆訶
(オン イーイ ソワカ)
というのがあります。
これは、初めの伊(イー)が勝軍地蔵を、
次の伊(イ)が六地蔵尊をあらわしますので、実際には七地蔵尊の総真言となります。 https://t.co/rA4HUs35Gz
私が奇行をなすスピリチュアラーさんや、妖しいセミナーに大金をつぎ込む人を、あまり否定的には語らないのは、
あの人達がオカルト(宗教や信仰、それにもとづく呪術等)に目覚めたとき、その話を聞き、誠実に対応し、批判し、根気よく良い方向に導びいてくれる先達や仲間に出会えなかったから、⇒