とあり、桃や柳に木には力の強い鬼王が住んでいるので、力の弱い鬼は近寄れないので施餓鬼の場所としてはふさわしくない、とします。
仏教的には、あくまでも、桃の木に住む鬼王を恐れて近寄れないのであって、桃果に鬼を祓う効果があるとはしていないと。⇒
スピリチュアルやオカルトが、修行や転生で霊的ステージを上がるとか、魂の進化とかいうと笑われるけど、
例えば輪廻転生は地獄⇒餓鬼⇒畜生⇒修羅⇒人⇒天⇒仏と階層を登っていくものだし、
四生だって化⇒湿⇒卵⇒胎と進化して行くものともみれるわけで、
端から馬鹿にすると見えないものもあると。
気学でもちいられる九宮には守護者が配されていて、日に1000回その真言を唱えれば難を逃れ福徳を得る、という俗信があります。
一白水星 水天
二黒土星 地天
三碧木星 帝釈天
四緑木星 火天
五黄土星 金剛界大日如来
六白金星 風天
七赤金星 多聞天
八白土星 伊舎那天
九紫火星 閻魔天
漫画版『姑獲鳥の夏 /京極夏彦原作/志水アキ画』の憑き物落としの箇所、
メジャーな密教の真言から始まり、民間呪術の『神通力悪魔縛の妙術』に『九字』、そしてイザナギ流祭文と、メジャーな呪文からマイナーな呪文(ローカルルール)と、相手が反応を示すまで次々と唱えていると。
一種の回帰運動であるともいえるわけで。
そういう意味では、そのための知識技術を保有している人がそれを解放してくれないなら、
宗教信仰で語られる存在、職業神との付き合い方、天文地理という世界の捉え方というのを、原始的な信仰形態からやり直すのも仕方がない⇒
ものではないと。除く/祓うというように、つまりは今憑いているトコロから離し、戻ってこれないようにすれば、それで良いと。
だから、明るい方に行きなさい、上にのぼりなさい、というのは、憑いているものを他所に動かすための方便で、必ずしも宗教的な救済を意味しているわけではないと。⇒
宗教的には正しいとは言えない、拝み屋さんの話。
所謂『護身法』は
①浄三業
②仏部三昧耶
③蓮華部三昧耶
④金剛部三昧耶
⑤被甲護身
の5つにわかれています。
密教では人は本来的には悟っているけど、
身体が生む悪業、
言葉が生む悪業、
心の働きが生む悪業
によって隠されているとします。
⇒
ユ○ヤ教とキ○スト教とイス○ム教が、学問的には『同じ神』を信じているのに仲がよくないのはなぜかというと、
『神様の教えを正しく理解しているのは何処か』
『神様は誰を一番愛されているか』
というのがかなり大きく、
神様の言葉を歪めて伝える者は万死に値するとか、神様の地上における代行者⇒
諸星大二郎先生の『マッドメン』の最後で人類学の学者が語る、
神話は昔の人間の世界観をうつしたものであるから、人が変われば神話も変わっていく。変わらないのは『死んだ神話』だけ。
という考え方は、ナカナカに意味深で、私たちの世界観が時代によって変わっていくからには、神話もまた変わる⇒
京極堂が行っているのは、『神通悪魔縛の妙術』で、
修すれば『邪気妖怪等凡て障りを為すものは一切消散する』とされ、
昔は結構人気のある作法だったようです。
①鎗之印
謹請甲弓山鬼大神、此座に降臨顯向し邪氣悪鬼を縛り給へ。無上靈寶神道加持。
②日之印
謹請天照大神、邪氣妖怪を退治し給へ。