織田信長公は、
武田信玄公が天台宗の一番偉い人(天台座主沙門)の肩書をつかったので、
じゃあ自分は僧侶の修行を邪魔する第六天魔王じゃあ!と自称したという話があったりなかったり。
『近江輿地志略』に
蛇の音は邪なり。よこしまなり。不浄なり。神は不浄を忌、清浄なり。邪を悪んで正きなり。先是をもつても雲泥の違を見るべし。人すら蛇を見て、きたなみにくみいやしむ。もしまた實に蛇、神體たらば、神道にはあらで邪道なり。
とあり、神の姿を蛇体とみるのは神道でなく邪道⇒
Twitterでは自分の好きなことを呟いていいし、その考えはおかしいとか思ったら、それに対して批判的なことを呟くのも自由ではあるけど。
とはいえ、わざわざ『相手が攻撃されるきっかけとなるような批判の仕方』をしなくてもいいのでは、と思わなくもないわけで。
○○警察と揶揄されたり自称してる⇒
葛飾北斎の『北斎漫画』にある倶利伽羅不動尊の絵に『右の劔、龍は左り之索也り』とあるように、倶利伽羅龍王尊は、不動明王尊が右手に持つ剣と、左手に持つ羂索を表しているともいわれています。
陰陽道は『昔の科学』だから、その本質を十分に理解していなくても『テキストに書いてある通りにすれば、思った通りの結果を出せる』ともいえると。
だから、陰陽五行の占術や加持祈祷とかを理解しなくても、テキスト通りに『黄色のものをトイレに置く』とか『この真言をとなえる』で願いが叶う。⇒ https://t.co/Y55zxT8Pnq
なのではないかと思ったり。
信仰されない神様とは『観測者がいない』ということだから、消えないといけない。
逆に、1人でも観測者がいれば存在できると。
護身法とかは、密教修験の秘密のものではあるけど、
『出家得度をしていない在俗の信者に与える様式』というのがあって、一週間の精進潔斎をおこなうと、真言と印契なら在家でも教わることができたと。
そう言う『学ぶ方法』を失くして殊更に越法罪/越三昧耶罪をいわれても、と思わなくもないと。
とみるなら、『オン・シュダ・シュダ』は浄獅子にして、善にして畏れを無くす善無畏に助けをこう呼び掛けである、と見ることもできる。
と、考察した上で『こんな真言は経典にないから“宗教的には”意味はない』と否定するというやり方もあるのでは、と思ったり思わなかったり
『鋼の錬金術師/荒川弘著』で有名になった『一にして全、全にして一』という言葉。
これは賢者の石の作り方を知っていたとされる、三世紀の希臘(ギリシャ)の女性錬金術師・克麗奧佩脫拉(クレオパトラ)の残した烏洛波羅斯(ウロボロス)の絵に書かれているそうです。⇒