拝み屋さんの話。青面金剛尊は、体内から三尸の虫が出ないようにする庚申日の本尊とされるけど、
青面金剛尊自体は、
三尸と同一視される伝尸(伝尸病=肺結核の原因となる虫ないし鬼)を体内から追い出すと。
呪を施した沈香・白檀・丁子・麝香・龍脳・薫陸を薫じると、煙を浴びた病人から虫がでると⇒
あまり他の方の方針に何かを思うのもよくないとは思うけど、
オカルト(宗教/信仰/加持祈祷/占術を含む広義のオカルト)実践の指導者的な人は、
教え子が自分より上に行くことを喜ぶべきで、自分の劣化コピーを大勢つくって、そこでオリジナルとして君臨したい、みたいな欲求があると皆いなくなると。
『托鉢には免許証が必要と法律できまっている』という間違った知識が広まったのは、2011年に出版された宗教者さんの家族が描かれた漫画『坊主DAYS』の2巻が一因なんで、
宗教者さんやその身内が、宗教をネタに面白可笑しく漫画にするのは好ましくないなぁ、と思った記憶があると。 https://t.co/mlDjjJ3Col
唐沢なをき先生が漫画『ホスピタル』で、
『この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。』
という『創作物の注意書き』を何度もネタにしていたけど、
創作物は、あくまでも創作物として楽しみ、それを現実と混同してはいけない、というのをひろめないといけないと。⇒
雑に。いわゆる審神者は、神霊の依代となるミコと、その素性をただす司祭との二人組のシステムで、神功皇后と武内宿禰の時代にまで遡る古い形式ではあるけど、
仏教(密教)伝来後は、宗教者が直に神霊と対話するシステムが形成されたとみるなら、
ソレだけを殊更に重視はできない、という見方もあると。
印は身体の正面の中央線上で結ぶことが多いし、呪術師を絵や画面で格好よく見せようとするなら(人物と印を1つの絵として見せるなら)構図はおのずと限定されていくのではと思わなくもない。
ちなみに『東京BABYLON/CLAMP著』は1990年、『孔雀王/荻野真著』は1985年。
先行作品に敬意をと(ry
現実世界でナニモノにもなれない人が宗教やオカルトや陰謀論にハマって、自分は世界の本当の姿を知っているんだ!といきがって痛い言動をする、
とか言わないで。 https://t.co/5o9JGdavDs
『パワースポット』と言う言葉を毛嫌いする人にとっての『パワー』って何なんだろうとおもったり。
もしかしてゲッター線みたいな、浴びた人間が進化したり、霊的に向上するエネルギーの存在をスピリチュアルが信じているとか勝手に考えて、独りで『そんなのは存在しない!』と批判してるのでは?
で、この鎌倉時代の伊勢暦の絵に『ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは』の歌がかかれていて、もともとこれが、大地をささえる龍にたいする呪歌だったと推測上できると。 https://t.co/wFq6SwD4G8