ハチャメチャに大喜びする藤子・F・つよつよ姉という超激レア描写(生涯に渡る約5万枚の原稿で多分ここしかない)
40年以上も経ってから修正されて本来意図したギャグがわかった例。そうか…キャデラックのもじりだったのか…。
松本漫画に慣れてると「いつものあれだな」とわかるので特に気にせず読めるんだけど,読み慣れてない人は戸惑うよね。同じ名前が出てくるから。なんか意味あるの?って。一番「んん~?」と思ったのはキャプテンハーロックでデスシャドウという場所が全然関係ない所で2回出てくるの。ここ絶対混乱する(笑
『ドラえもん』15巻を読んだときここすごいショックだったんですよね。コマの順番間違えてるの。えっ誰もチェックしてないの?ちゃんとした大人が作ってるのに?なんで?と。そういうもんじゃないんだよ~間違えるときは間違えちゃうんだよ~と大人になった今はわかるけど。これ何刷りから直ったのかな
本当に全く情報を入れずに知らない場所に行くとこうなりがち。 https://t.co/NIX6bSzUg1
やっぱり時代を感じるのは昔のコンピュータ描写ってとにかく物理ボタンを大量に描くんですよね。あと何故かアタック25みたいなモザイクモニターパネルを描きがち(笑。これはおそらく最初に誰かが描いたのが踏襲されちゃったんじゃないかなあ。
昔、漫画とかアニメのコンピュータ描写ってなんていいかげんなんだろう。おばあちゃんの知恵袋じゃないんだからさー。と思ってたけど意外とリアルだったよな。
で,面白いのがこのスタンスは実はTV版独自で,石森先生の原作は旧来のオーソドックスな流れの上にあるのね。もう最初から情と涙と仁義の話がずっと続くの。ウェット石森。でもTVはTV,漫画は漫画が石森先生の基本スタンスだけどゴレンジャーに関してはさすがに途中でシンドくなったのわかる気がしますよ
小学館の漫画って台詞に句読点を付けるルールなんですよね。これが徹底し過ぎてて大声の台詞にまで「。」が付けられちゃうという。回避するにはギザギザふきだしの台詞は全て「!」で終わらせるしかない。この決まりは小学館独特なので朝日ソノラマとか双葉社から移籍してきた単行本には凄い違和感が。
単行本に収録された短編で最終ページの絵柄が違うと特に気になるよね。えっこれ雑誌掲載時は違うオチだった可能性もあるの?とか考えだしちゃって(笑。ポストの中の明日も絵が違うからもう気になってさ。多分明るい表情にしたかったんだろうね。70年代の作品を80年代に手直しするのが一番目立っちゃうね