F先生、たまに高畑さんに冷や水を浴びせるじゃないですか。あれがいいんですよね。それらしいこと言うけど結局何もしないわけ?って。こういうタイプに対して,頭がいい傍観者になっちゃうんじゃないの?って危機感があったんだろうね。「インテリって無責任ね」って一番言われたくない言葉なんだろうなと 
   ここ好きなんすよね。「高畑さんのアイディアにしちゃさえないなあ」って(笑。これはキャラが完全に確立して読者に信用ないと成立しないよ。そういう設定ということじゃなく頭がいい人というのが劇中人物も読者も納得してないと成り立たない。あっ,たまにはパッとしないこともあるんだとちゃんと思える 
   モナ・モナシスってこれジャクリーン・オナシスがモデルなわけでしょ(だよね?)。要するに毀誉褒貶のあるちょっと胡散臭くて鼻が利くお金持ちというかさ。だから急に良い人ポジションになって出てくる描き足し部分はやっぱりおかしいよね。 
   元々ドラえもんの企画は前作の評判を元に「ふしぎな道具が毎回出てくるものを」っていう編集の依頼ありきなわけで。そこに未来と過去を行き来する要素を入れたのがF先生の勝負所なわけで,だから初期は時間軸の話が特に多い。でも結果的にその部分は失敗したって本人が結論付けてるんだから厳しいよな~ 
   しかしF先生、1970年11月号の学年誌には「おばあちゃんのおもいで」と「わすれトンカチ」を同時期に描いている。切り替えてどんどん別のものを描きたい月間だ。 
   藤子・F・不二雄先生の作品を縦の時間軸じゃなくて同時期の横の時間軸を調べるのも発見があって面白いよな。F先生、1974年9月号の学年誌に「赤いくつの女の子」と「台風のフー子」を同時期に描いてるのね。そういうセンチなものを描きたいエモい月間だ。 
   『モジャ公』のみきちゃんってなんで『ドラえもん』のしずちゃんとデザイン同じなのかと思ってたけど連載開始時期がニアミスしてるから流用しちゃったんだね。というかモジャ公の方が一月早く始まったわけだからむしろしずちゃんの方がみきちゃんの流用なのか。どうせすぐ宇宙行くから出番なくなるしと 
   たしかに。オバケ同士なら話せるってわけでもないのはたしかに面白いな。兄弟だけは何故か話通じるのね。 https://t.co/Bx8iQHf6yS