魔美みたく社会派ネタを扱う作品は情報ルートがないと先々困るなという新聞社勤め設定なんだろけど多分F先生も連載初期段階で少し都合良すぎるな…と思ったんだろね。やはり同じ情報に触れるでも魔美が地下道でホームレス見て「あの人たち何?」と素で訊いちゃうとか肌感覚から社会との接点を作らないと 
   最近のファンタジー漫画の世界観って凝ってるけど葬送のフリーレンの魔法の扱いは特に考えられてて感心する。世界の隅々にまでわたる魔法の立ち位置や関り、歴史の中で魔法技術のパラダイムシフトの起きた根拠がしっかりと理屈で描かれてるのが面白いのね。今思いついて唐突にここにあるものじゃなく。 
   出木杉は好奇心旺盛で外に出て色々見たいタイプの秀才だから冒険に連れていって欲しかったはずなんですよね。ここが研究者で求道者タイプのスネ吉兄さんとの一番の違いで。未来の姿を見ても多分火星にずっといるわけじゃないのね。鞄のシール見るとかなりの回数あっちこっち行ったり来たりしてるわけで 
   藤子F先生のイメージだといい男ってアラン・ドロンなんですよね。『エスパー魔美』の担任のあだ名のドロンモドキってあれ微妙なイケメンってことでしょ。 
   カラーページなのにテレビ画面内であることの表現としてそこだけ白黒のコマになる斬新な処理。当時の人にしか伝わらない。 
   あたるがいつもちょっかいを出してるという体になってるけどラムの旧友も貞操観念がないというか相当テキトーなんだよな(笑。ラムもそれをわかってて結構警戒してるし怒るんだけどそれはそれで別に仲悪くなったりとかしないのね。カラッとしてんだよな。これどっちもどっちというか相当倫理観ないよね 
   『流血鬼』雑誌初出版だと幼馴染の子は洞窟に来てすぐ縛られちゃう。持ってきてくれたお弁当を食べたり昔話をするくだりも一切なし。説得もそこそこにすぐ強引に「ギャーッ」に続く。オリジナルは30ページだから8ページも単行本で描き足しがある。 
   なんとなく内山まもる先生のウルトラコミックの素晴らしさを語りたくなったので。何が素晴らしいってまず絵がズバ抜けてるのだが上手い上に漫画家として上り調子の時期なのでもう絵を描くのが楽しそうなんだよね。妙なアングルとかわざわざチョイスして描くんだよ(笑。見てるだけで多幸感があるよな。 
   昭和漫画家の無頼エピソードっていろいろあるけど、若い頃の水島新司先生が影丸穣也先生の家に穴の開いたクツ下で遊びにきて、影丸先生の新品のクツ下を履いて帰る話はメンタル強くて好き。