『わたしは真悟』って日本の景気が一番良くなりそうな時期の作品だけど優れた洞察力の作家はこういうこと描くよね。ごうごうと流れていく世間の勢いと、自分はどこかでそれに取り残されていくんじゃないかという焦燥感。
ウルトラセブンが一人で技を磨いてる孤高の武人みたいなイメージになったのって多分コロコロ増刊2号に内山まもる先生の『ザ・ウルトラマン』とかたおか徹治先生の『決闘ウルトラ兄弟』が同時に載った78年8月以降だよね。
藤子F先生、変則スタイルのスピンオフとかたまに試すよね。元作品の世界観や設定を想起させつつの変則番外編。
『21エモン』を『ミノタウロスの皿』にしたり
『みきおとミキオ』を『ぼくのオキちゃん』にしたり。
これ手塚先生式のスターシステムではないんだよ。世界観を利用したスピンオフシステム。
最近気付いたんだけど『モジャ公』冒頭シーンの講談社の看板文字が中央公論社版の単行本だと消されてる!モジャ公って連載された講談社からはコミックス出てないんだけど、虫プロと朝日ソノラマと小学館の単行本はオリジナル原稿のままなのに中央公論社版だけが消されてる。中央公論社よくないなあ(笑
単行本に収録された短編で最終ページの絵柄が違うと特に気になるよね。えっこれ雑誌掲載時は違うオチだった可能性もあるの?とか考えだしちゃって(笑。ポストの中の明日も絵が違うからもう気になってさ。多分明るい表情にしたかったんだろうね。70年代の作品を80年代に手直しするのが一番目立っちゃうね
F先生も返歌のつもりで描いたものをドヤ顔でパクり扱いされたり執筆日を誤解されて剽窃疑いを受けるのはウンザリしてたと思うんすよね。わざわざSF短編愛蔵版の前書きで「パクりじゃないです」って書くくらいだから。ある時期のSF短編から最終コマに日付を入れるようになったのは多分そのせいと思われ
野球って最も複雑なルールの球技だと思うけどあれフォースプレイ周りが難しいんすよね。だから野球漫画でもその辺あまり描かれないし。水島新司先生は別として(笑。水島先生だけは有名なドカベンのルールの盲点だけじゃなくフォース絡みの得点を何度も描いてんすよね。これを面白く描くって大変ですよ
島本先生のヒーローカンパニーが超分厚いコンビニ本になってたのでまとめて買った。これ職業ヒーローものの体をとった島本先生の正義論だから面白いよね。劇中人物が全員正義への突っ込み役というか。島本先生が延々考えてた正義の定義の話だもんな。ずっと言ってるよね。それにしても大ゴマが多い(笑