同じ原作ファンでも、好きなところ、大事に思うところ、ほかのひとに伝えたいところは、必ずしも一致しない。その差が新たな魅力を引き出してくれるから、私は翻案を喜ぶ。「原作通り」「原作者の意向」が絶対とは思わない。
んが・・・コレジャナイと思うことはある。
カレーは辛くしてくれ。
(時代劇時代と異世界世界)
「時代劇」は、江戸の初期とか後期とかは意識せず、「時代劇時代」という認識で制作されているとか。まー、いい加減すぎて凋落した側面もあるが、昨今のファンタジーも同じノリだろう。
つまり「異世界世界」であって、言語や風俗を気にしてはいけない。
『ブラック・ジャック創作秘話 手塚治虫の仕事場から』(全5巻 2009)を読んだ。おもしろかった。手塚治虫の奇人変人ぶりも痛快だが、周囲に与えた影響の大きさに驚嘆する。私はここまで命懸けで生きてない。高度経済成長期の狂騒に翻弄された側面はあるだろうけど、とにかく、すさまじかった。
(サイバロイド)
んが、よくよく思い出すと『宇宙鉄人キョーダイン』(1976)のサイバロイドも電脳だった。特撮は子ども向けで、漫画は尻切れトンボだが、アイデアは冴えていた。
そして今、エイトマンも電脳とわかって、私はふたたび打ちのめされている。日本SF文化、たまらないぜ。
(電脳という発明)
なので、士郎正宗『攻殻機動隊』(1991)の電脳は、めちゃくちゃショックだった。脳そのものを機械化するとは! 私が20歳のころだ。その後、ギブスン『ニューロマンサー』(1984)を読んで、ゴーストダビングを封じた士郎正宗のセンスにうなった。
(生体脳へのこだわり)
平井和正や石森章太郎は、脳こそが人間と考えていたようだ。『ロボット刑事』も、漫画では生体パーツを使っていたしね。
頭蓋に脳が入っていたら、機械の体であっても怪物であっても、人間とみなす。私もそれが当然と思っていた。
「同族殺し」で、ぱっと思いつくキャラクターを挙げてみた。けっこう多い。そうそう、キカイダーもロボット同士の殺し合いだった。こうした作品に触れてると、「WOBBIT」の可能性に反応しちゃうな。