昭31、空自が買ったバンパイア練習機(拙作カット参照)を横浜で陸揚げし浜松に陸送する途中、富士川鉄橋の桁が低くて渡れず、やはりトレーラーのタイヤの空気を抜いて3時間掛けて渡ったそうです。なお前後の渋滞が1キロに及んだそうです。 >RT
朝鮮戦争の好敵手F-86vsMiG-15を比較する際、前者は制空戦闘、後者は重爆迎撃を主目的に開発された点に留意されたい。また前者の勝利要因の一つに50cal機銃の良好な弾道特性もありますが大戦中のプロペラ機ならともかくジェット機相手に打撃力があると言えず、急遽20mm機銃を試験搭載した程です。 >RT
「船で津軽海峡を越えなければなりませんでしたが、浮遊機雷の問題や津軽海峡に潜むソ連の潜水艦の危険などもあり」
昭29夏、北海道巡幸の立役者となったのが国鉄の洞爺丸であり海自・海保でした。時にその洞爺丸が台風禍に没する日本最悪海難の僅か一か月半前。※カットは拙著より https://t.co/dQvyCqZVTc
NHKドキュメンタリー - ETV特集「彼らは再び村を追われた 知られざる満蒙開拓団の戦後史」 https://t.co/kdgpLmVX3I
拙著『海自S-51物語』の源流と言える戦後開拓事業。記録を読む度に怒りの感情が沸いてきました。後の南米移民や帰還事業なども含め実質「棄民政策」でしかないのですから。
「東京とびもの学会」で発行した『海自S-51物語』再版分、コミックZIN様にて委託販売が開始されました。本文サンプルはこちらの画像をご覧ください。三沢、大湊に足を運び、新聞マイクロフィルムを数年分繰った調査の成果に触れていただければ幸いです。
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BS『北海道開拓』、どれも重いハナシでした。自分も最近同人誌を描く上で知りましたが、ミンシュテキになった筈の戦後の日本でも「棄民政策」と言わざるを得ない開拓民の悲劇がいくつもあったのですよね。これは永く語り継ぐべきと強く思います。
多分2011年頃、コピー版海自アベンジャー本。同人活動に興が乗った時期なのか、楽しそうに線を引いているのが分かって愕然。この気持ちも思い出さねば。
#5年以上前の絵見せて下さい