「ドラえもん」「21エモン」「モジャ公」「ざしきボーイ」…藤子Fのキャラクターづくりを見ると、彼なりの必勝法のようなものが見えてくる「突飛なもの」「古風なもの」を混ぜることによる安定感、コラージュの面白み、彼はかなり意識してキャラクターメーカーとしての自分を作っていたように思う。
藤田和日郎の絵が上手いと思ったことは一度もない。だが藤田和日郎のマンガはなんて上手いのだろうといつも思う。これがマンガの素晴らしさであろう。絵が上手いというのは単にマンガの一要素に過ぎない。そしてマンガは面白ければそれが一番なのだ。
たとえば①の原点にも②があるだろう。秋本治などはそのままオマージュを捧げている。園田光慶の「アイアンマッスル」には、忘れられた巨大な影響力があったらしい。我々世代でいうと、たがみよしひさ、たなか亜希夫あたりだろうか。みんな影響を受けてマネしたけど本家は忘れられがちという。
まったく正しい、そして今の我々はそうでもしないと経済が回らないことも知っている。どちらも否定しないし、どちらも肯定しない。見なかったふりもしない。胡乱な最適解も提示しない。その上で描けることを描くべきなのが我々だと思う。たとえポエムに終わっても。