これらは同じ境地にある。これらは失笑され、嫌悪さえされるかもしれない。だがこれこそが人の心に響き、歳月を経て残る。これこそが表現なのだと思う。我々は人間であり、人間は不完全であり、不完全な者の表現が完全を求める、装うことはすでに蛇足であり汚れている。
大きな災害のたび、子供の頃の「なぜ日本は昔あんな無謀な戦争に突入したんだろう? 馬鹿じゃないのか、もっとうまくやれたはずだ」というのが崩れ去っていくのである。現在進行系で馬鹿やっててうまくやれてない。誰も止められてない。ということは、多分今までもこれからもずっとそうなのであろう。
お蝶夫人や、キャプテンの丸井のことを忘れてはならない。マンガはこんなにも発達したのに、この種の魅力的なキャラクターを滅多に見かけない気がする。
内山まもるのウルトラマンの何が素晴らしいかと言えば、人体への深い理解がそのままウルトラマンへの理解へと繋がっていることだろう。ウルトラマンの極限まで簡略化された造形の根底には、彫刻家である成田亨の深い人体構造への理解があり、それは多くの場合見落とされてしまうものなのだ。
バタークリームで薔薇を作ってくれたのである。見本写真でこれだから、実物はもっと適当である。だが忘れられない。こんな細工が非日常的な祝祭感を醸し出し、憧れて、そしてちっとも美味しゅうない。ああ美味しゅうなかった。
これは誰かが書いといてやるべきなので書くのだが、もしも「北斗の拳」が昭和の時代であれば、北斗神拳の後継者はジャギである。あとの三人はダメだ。3日で事業として潰れる。そこそこ実力があり、機を見るに敏。打算的で堅実。あえて泥をかぶる覚悟もある。意外と経営者としての器が見える。
有名なこの挿話には、戦中戦後の簡単に育つけどひたすら不味かった「高系4号」と、昭和30年代に復活し幼稚園の定番イベントともなった「観光芋掘り」
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の隔たりがある。2つを前提にしないと意味が通じず、我々は基本ワカメちゃん以降世代であり不味いイモというのを知らない。
多分もっと巧みなアイディアと演出で人質を救出できる。しかしそんなもんは世の中に死ぬほどあるのだ。つまんない。ところが「ペンキ」「牧師」でググるだけでこの画像が出てくる。こんなん誰も思いつかないし、思いついてもやらないからだ。すげえ。ムチャクチャだ。