これも誰かが書き記すべきなので書く。このジャギのヘルメットは黒い。光沢のある黒である。それが、わずかなベタと周囲のラフなペンタッチだけでわかる。週刊連載でこんな高度な芸当ができたのは当時原哲夫だけであったと思う。肌の影にはトーンを使っているのにヘルメットには使わないという表現力。
これ(1963)が当時はタイムリーであり、今ではさっぱりわからない。たとえば今日、大谷翔平がロボットになるマンガの企画は通るまいが、当時はそうではなかったのである。いかに「野球」「長島」が強固な価値を持っていたかわかる。現実とマンガの境界線のユルさ、曖昧さも。
何度も書くが藤子Aの「存在しない動き」はもっと語られていい。映画のアクション監督もアニメーターも「殴る」という動作をこのようには描かないだろう。これはマンガに最適化され分解された「殴る印象」であり、動きは硬直的で不自然である。だがそれゆえ、むしろ強烈に見る者の心に刻まれる。
Youtuberがなぜここまで成功するのか正直あんまよくわかっていなかった。TVより情報の質は落ちる(と感じられる)からだ。だが考えてみたら、TVも映画に対して同じように言われてきたのだった。答えがあるとしたら「適者生存」だろう。強い者でも、賢い者でもない。最も状況に適した者が生き残るのだ。
優れたマンガというのは大抵こうした途方もなさがあって、計算では絶対に出ない。どんなストーリーテラーがこの回の脚本を頼まれたとして「この丸太に掴まるんじゃ!」というパワーワードは出てこないだろう。なぜ丸太なんだ。掴まってどうするんだ。そんなのどうでもいいから早く続きを見せろ!
「不要不急の外出を控えてね、特に何もフォローはしないけど」と言われて本当に東京の街に人がいないらしい。日本人のコロナ対策というのは究極的にはこの図であろう。心底マゾヒストなのだ。別にお上に忠節を感じてるわけでなく、というかお上はどうでもよくて、単にこういう我慢大会が好きなのだ。
コロナ騒動の気晴らしに、以前のクラウドファンディング企画だった
「8bit年代記stage02」の第一話を無料公開してみたいと思います。
すでにマンガ図書館Z様にて無料公開している「8bit年代記」
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