国のコロナ対策に憤りが収まらない人に再掲して見せたいこの画像。政治が賢明で、信頼に足ることなど期待するほうがどうかしてる。いつだって何だって基本うまくいかない。パチンコ屋で「出ねえぞ」と怒っているのと変わらん。逆になぜ出ると思う。あれは「出ますよ」という期待を売っているのだ。
「とんち…」
「そうだこれはとんちだ」
「暴力じゃない」
「とんちならいくら使ってもいい」
「ヌンチャクもとんちだ」
(マジンガーZのよく考えたらすごい点)
「強くてかっこいいロボット」
「敵幹部が半分男で半分女」
そういうものだったから普通に見ていたが、冷静に考えたら構成要素として全然関係ない。とんかつ定食に麻婆豆腐がついてくる感じ。普通一緒に出そうと思わない。並べて見てみろ、どうかしてる。
手塚治虫は戦後漫画の壮絶な勃興期を生き延びてきたのだ。「漫画による長く複雑な作劇」を一般化させたのは他ならぬ彼である。ゴルゴが背後に立つものを殴ってしまうように、皆にやめろと言われても作劇の途中でオチャラケを入れてしまうのは、むしろ切実な積年の習慣だったのかもしれない。