「械魔の街」曽根宏造 30数年前の同人誌より。作者は当時16歳だったとあるが、未だにここまでの完成度をもった宮崎駿の完コピを見たことがない。この後を知らないのだが、作者は今頃どうしているだろう。
「マンガ」の絵はつまり「そこを描くか!」「そこは描かないのか!」の取捨選択と誇張に魅力が詰まっている。大抵の読者はそれに気づかず、ただ新しいとか古いとかの直感的な印象でそれを感じるのである。しかしただ流行に乗る上手さと違って、根底の絵の巧さというのは何十年経っても古びない。
蟹座の黄金聖衣というのは、おそらく装着者を守るとか何も考えておらず、「こいつがワシを着たらオモロいやろうなあ」「ここで突然こいつ見捨てたらオモロいやろうなあ」という行動原理でしか動いていないのではないか。
このセンス・オブ・ワンダーである。「銀河鉄道999の乗客は最終的に機械惑星の構成部品の一つにされる」というのはSF的によくあり「まあそれも運命かもなあ」と思える。だがそこで「ネジの1本です」と言われたら「絶対ヤダ」となる。ひと目でそれを示している。この頃の松本零士は冴えまくっている。
オタクの発生した根底に、第三次ベビーブームを生むはずだった巨大なリビドーと、それが満たされなかった歪みがあるというのがオレの意見である。同じようにして学生運動とその尻尾の世代の根底には、総括しきれない屈辱を現世利益で糊塗しよう、自己肯定しようという意思があったのだとオレは思う。