つまり「日本人らしく見えない」という時点で、無自覚で強烈な、ある種の意識が混入しやすいと思っていい。もちろん返す刀で明治から100年ほど自分の容姿に強いコンプレックスを持った日本人が、せめてマンガ絵で必死でそこから抜け出そうとした経緯ももちろんある。要するに二重に難儀な話題である。
今こんな立派な饅頭とか羊羹とかもらっても、みなさん逆に処理に困らんか。思えば日本人は甘味に飢えており、今や飽いているのだろう。父母の世代は「バナナ一房食べるのが夢だった」と言っていたものだが、今はバナナなんて健康のため以外に食べとうない。こんな風に甘味に恋い焦がれていたい。
「安保の時代を生き抜いたメンタル」というのを決して侮ってはいけないと思った。それは「文化大革命の時代を生き抜いたメンタル」と同様に、状況に応じた都合の良い変節を正当化し、それ自体を信義のようにして恥じない。きわめて現実的な処世の術なのだ。