よく考えたらヌンチャクはこんな風に動かないのである。だが一度これを見てしまうと、ヌンチャクの表現はもうこれでいいような、逆にこれしかないような気がしてくる。絶対打ちにくいと思うけどそれすらもうどうでもいい。
んで思ったんだけど、レトロな技法が再評価されたとき、当時やってた人は大抵もういないのな。全体が若い人によるパロディになってしまい、だからこそ意味が理解されるというのもある。小松崎茂、石原豪人、生頼範義あたりは幸運な例外だと思う。長命で腕が衰えていなかったから可能だったのだ。
たとえば「黄昏流星群」は中高年向けの半分エロマンガなのである。目尻のシワやほうれい線のある普通のオバサンを、揶揄的に描くのは簡単だけど、リアリティとしてギリギリの商品価値をもって描かねばならない。それができているから人気連載になっている。この描写力を決して侮るべきではないと思う。
藤田和日郎の絵が上手いと思ったことは一度もない。だが藤田和日郎のマンガはなんて上手いのだろうといつも思う。これがマンガの素晴らしさであろう。絵が上手いというのは単にマンガの一要素に過ぎない。そしてマンガは面白ければそれが一番なのだ。