今も皆「ロボット描いてくれ」と言われたらついどこかにガンダム風味入れとくだろう。言い訳や魔除けのようにして。だってわからん奴って本当にわからんからな。手塚治虫の宿痾のように言われるオチャラケも、戦後漫画界を生き抜いた彼の生存戦略、痕跡器官と考えるべきと思うのだ。
「彼岸島」の作者って本当に天才でさ。こんなのずっと描き続けられるやついないぜ。読んでて笑うしかないんだけど本人はわかってるんだかわかってないんだか絶対笑わない、絶妙の「間」がある。これができてる作者ってゆでたまご先生くらいしか知らない。北斗の拳が失くしちゃった「間」でもある。
山下達郎に「アトムの子」というのがあって興味深い。アトムを百万馬力と歌うのだ。今日アトムは十万馬力と言われる。瞬間的に百万馬力を得たが、その傾向は作者自身に否定されたからだ。だが山下達郎のようなリアルタイム読者には「百万馬力のワクワク感こそアトム」という意識があったのではないか。
気づいていただろうか? このネタ、アイディアとしては最初から破綻しているのだ。時間を空けて呼び出せばそれで済むのである。それをあえてしない。しないことに気づかせない。そこに、この話の凄みがある。どんどんボロボロになっていくドラえもんを見たいと皆思ってしまう。SFギャグの粋である。