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ここに自分で語られてるけど、普段のパタリロなら犠牲となった若者の名を冠したロケットを涙ながらに飛ばすくらいはやるの。アニメ版みたいに。最高の演出だから。でもこの時はそうしなかったの。全部自分だけで背負って一人で泣いたの。これこそがパタリロだとオレは思った。
「もともと強いからよ」という「花の慶次」のこのセリフも、きちんと読めばその先があるのがわかる。虎は異物として人に恐れられ、罠に追い込まれ、人の世で、人と同じように安楽に暮らすことは決してできない。「だが、それがいい」ここにもまた別種の悲しみ、ヒロイズムがある。
バナナ型神話の本当の恐ろしさは、死の起源やその不思議ではない。生や死に、バナナや岩に、価値を見出すその認識の危うさなのだと思う。これについては諸星大二郎が極めて巧みに描いている。どっちを選んでも幸せにはなれない。岩を選んでこうなりたいかね。そもそも本当にバナナを選んでいたのかね。