猿田博士との関係ばかりが注目されるが、このお茶の水博士の顔を見たまえ。彼の複雑な内面を覗かせた、おそらくただ一度の表情だ。サラっと描かれたように見えるこの顔こそ、劇画の洗礼を浴び、それを克服した手塚にしか描き得ぬ表情と思う。実は当の劇画はここまでの深い表現に踏み込めなかった。
今日この間違いを指摘することは簡単である。しかし視点を変えてみれば、望月三起也のような当時最強のマニアがこう描写したということで、当時の共通認識、アメリカ経由で大量流入した戦後西洋文化、さらにはバブル以降ようやくまともに整った日本のイタリア料理のニュアンスを知ることもできる。
スネ夫自慢のような自転車を決定的に陳腐化させたのがE.T.だったと思う。日本のガキは当時誰一人あんな物凄い自転車を見たことがなかった。しかも売ってもいなかったから、そこらへんのガキがマウンテンバイクを実際乗れたのは80年代も中盤以降ではなかったろうか。
マグマ大使と言えばゴアである。大変魅力的な堂々たる悪役で、さらに言えば元祖子供大好き悪いおじさんで、実写版は造形こそ実に素晴らしいのだがこの描写が弱かった。「風と木の詩」のボナールの原型は、このゴアだと勝手に思っている。
8マンを参考にしたと思われるセブンマンのデタラメ感を自分はむしろ愛するのであるが、こんなもん愛してちゃダメだぞ。アニメとかゲームとか卒業してもっとちゃんとした大人になれ。